大判例

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東京地方裁判所 平成2年(ワ)7623号 判決

原告

天野八重子

右訴訟代理人弁護士

松井繁明

瀬野俊之

上条貞夫

滝沢香

今野久子

被告

株式会社アール・エフ・ラジオ日本

右代表者代表取締役

駒村秀雄

右訴訟代理人弁護士

竹内桃太郎

右訴訟復代理人弁護士

木下潮音

浅井隆

吉益信治

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

一  原告は、被告に対し、平成七年二月二八日まで労働契約上の地位を有することを確認する。

二  被告は、原告に対し、平成二年三月から同七年二月まで毎月二五日限り金三八万三一七八円宛支払え。

第二  事案の概要

一  争いのない事実

1  被告は、ラジオ放送事業を主たる目的とする資本金五億円の株式会社であり、原告は、昭和三三年一一月一日被告会社に採用され、以来、主として、アナウンス業務に従事していた。

2  被告会社の就業規則六六条三号によれば、「社員が定年に達したときは、退職とする。」ものとされ、同規則六九条によれば、「定年退職は、満五五歳とする。」と規定されている(以下、本件五五歳定年制という。)。

3  原告は、昭和一〇年二月二八日生まれであり、平成二年二月二八日に満五五歳に達し、被告会社は、同日をもって原告を定年退職扱いとした。

二  事案の要旨

本件は、原告が、右退職扱いは五五歳定年を理由とする解雇の意思表示であると主張し、これが公序良俗に反し、権利の濫用・信義則違反に該当するとして、原告が満六〇歳に達する日である平成七年二月二八日まで労働契約上の地位を有することの確認と平成二年三月から同七年二月まで毎月二五日限り金三八万三一七八円宛の賃金の支払を求めたものである。

三  争点

1  定年制の法的性質

原告は、一定の年齢に達した場合、労働契約関係が消滅することを定める定年制は、就労能力もあり、かつ就労継続の意思を有する労働者をその意に反して労働関係から排除しようとするものであるから、実質的意味において解雇にほかならず、定年制は、労働契約における労働者の解雇事由ないし解雇基準を定めたものである、と主張する。

これに対し、被告は、被告会社の定年制度は、満五五歳という年齢に達したことをもって当然に退職となることを定めた定年退職制度を採用したものであり、解雇と異なる労働契約終了事由である、主張する。

2  公序良俗違反、権利濫用・信義則違反

原告は、1の主張を前提とした上、定年制は労働契約の内容とは切り離されて存在する外的な制度であって、制度そのものの正当正については、公序良俗、公共の福祉、権利濫用等の規定によって、私的自治の制限に服するものであり、本件五五歳定年制に基づく解雇は、公序良俗に反し、権利の濫用・信義則違反に該当し、違法・無効であると主張する。

本件の中心的争点は、本件五五歳定年制の公序良俗違反、権利濫用・信義則違反該当性の有無であるが、これを基礎づける具体的事実に関する原告の主張及び被告の認否・反論は以下のとおりである。

(原告の主張)

(一) 高年齢時代の到来

(1) わが国の人口は、諸外国に例をみないスピードで高齢化が進んでいる。「高齢化社会」とは、満六五歳以上の人口が総人口の七パーセントを超えた社会を指すが、日本の場合、昭和四五年に始めて満六五歳以上の人口が7.1パーセントを超え、平成二年には、12.5パーセントに達している。

(2) 日本の場合、高齢者の割合が総人口の七パーセントから倍の一四パーセントになるまでに費やす年数は、二六年と予測され、フランスが一一五年、旧西ドイツ、イギリスが四五年かかったのに対し、二倍以上のスピードで高齢化が進んでいる。そして、二〇二〇年には、日本は世界一の高齢国となり、国民の四人に一人が高齢者となると予測されている。また、平成二年の時点で、日本は平均寿命が女子81.90歳、男子75.92歳という世界一の長寿国であり、二〇二〇年には高齢者のうち、七五歳以上の者が半数を占める高年齢層の割合が高い国となる。

(二) 高年齢者の活躍状況

(1) 定年延長を含め、高齢者が生き生きと長く働ける雇用の場をもうけることは、国をあげての日本の緊急課題である。五五歳定年制は、明治の末年、財閥がホワイトカラーの定年を五五歳に定めたことに始まるといわれるが、その頃の日本の平均寿命は、五〇歳を大幅に下回っており、人生八〇年が当たり前の時代になった今日の状況にそぐわないものとなっている。

日本の高齢者の就労率は、昭和五七年の時点で、五五歳以上の男子の労働力率は、62.3パーセント、女子の就業率は29.8パーセントと先進国のなかでも飛び抜けて高い。その後も高齢者の就労率は、男女共に確実に高まっている。

(2) 日本で高齢者の就労率が高いのは、厚生年金等の受給開始年齢が六〇歳とされているため、働かなければ食べていけないという経済的理由が大きい。しかも政府は、右受給開始年齢を六五歳に引き上げることを既成方針としている。そして、高齢者は、健康の維持、生きがい・社会参加のために働きたいとの強い意欲を持っていることも、就労率の高い理由の一つである。

(3) このように、「高齢者が生きがいを持って暮らせる社会」の実現がわが国の今日の最大の国民的課題であり、定年延長・雇用確保をはじめとする社会的な環境整備が急がれており、高齢者も右社会の実現に必要な知識、能力、経験、意欲を充分に備えている。

(三) 定年制の構造

(1) 定年制は、労働契約の解雇事由ないし解雇基準を定めたものである。労働者が一定年齢に達したことを解雇事由とする一律定年制は、労働者の個別具体的な労働能力・意欲を問うことなく一律・画一的に年齢をもって労働者の地位を奪うものであって、解雇の合理的な理由たりえない。

(2) 年齢による差別を禁止する考え方は、第一に、人間の能力が加齢によって一律に減退するものではなく、減退の程度は個人差があることが認知されてきたこと、第二に、高齢者がその経験と知識を労働生活において発揮する機会を年齢のみを理由として奪うことが不合理であり、人間の尊厳からも重大な問題であることが認識されてきたこと、第三に、高齢者の生存の権利を確保するためにも、一定年齢による雇用打切りによる無収入ないし再就職後の労働条件の低下を解消することが高齢化社会にあっては社会的要請であることが広く認識されてきたこと等に起因している。

そもそも、定年年齢到達日を境に、それまで保有していた労働能力がにわかに喪失して、もはや契約内容に適応した労働能力の提供が不可能となってしまうなどと考えること自体が、あまりにも不自然・不条理のことであるばかりでなく、たとえ高年齢による労働能力の減退が認められるとしても、その程度には個体差がみられるとともに、現在での機能年齢はむしろ若返ってきており、高年齢者の蓄積された経験と知識がかえって生産性を高めることがあるからである。

それにもかかわらず、一律定年制のもとでは、まさにこうした定年到達者の労働能力の質に関する個別具体的判断を一切捨象して、ごく単純な一定年齢への到達という自然的事由のみによって、誰れ彼れの別なく高年齢者の蓄積された経験や知識を職業生活の場で発揮する機会を奪ってしまうわけである。そしてまた、たとえ一律定年制での定年基準がいかほど客観的・化学的に定立されようとも、それ自体が単なる抽象的・平均的な人間一般の労働能力に関する一般基準にすぎない以上、この事態にはまったく変わりがないのである。

(3) 定年制の合理的根拠として掲げられる、若年労働力補充による新旧交代機能、使用者の恣意的判断基準の排除などは、定年制が存在する社会的根拠や労務管理上・経営上の必要性にすぎず、法的正当性を裏付けるものではない。

(四) 放送業界における定年制の実態

(1) 被告会社と同業種の民間放送局では、昭和六一年一〇月以降、数年のうちにほとんどの放送局が定年を六〇歳以上と改めた。特に民間放送局は免許事業であり、マスコミ報道文化事業を営むことから、その活動において社会的な影響が大きく、労働省としても未だ定年を五五歳以下としている各局に対しては、強く定年延長を要請した。東京都の例でみると、昭和六三年の年末、原告の所属している日本民間放送労働組合連合会(以下、民放労連という。)ラジオ日本労働組合(以下、ラジオ日本労組という。)と、その上部団体である民放労連関東地方連合会(以下、関東地連ともいう。)の東京都労働経済局への要請に対して、指導担当官は、「放送局は免許事業であり、そういうところは重点対象として強力に指導したい。」と答えている。

(2) 平成三年四月現在において、民放労連の調査によれば、別表(一)のとおり、同連合会加盟七九組合中、六〇歳以上定年は五六組合(70.8パーセント)であり、五六歳以上、六〇歳未満が一三組合(16.4パーセント)、五五歳定年が一一組合(13.9パーセント)であった。しかし、この時点で交渉中及び段階延長中、六〇歳までの再雇用制度ありと答えた組合が一九組合(二四パーセント)あり、五五歳定年のみとしたのは、四組合にすぎない。実に94.9パーセントの放送局が定年延長になんらかの対応をしている。そのうち実質的に再雇用も含めて六〇歳まで働くことが保障されている局が、七九局中七二局あり、全体の九一パーセントに達する。

(3) その後、別表(二)のとおり、多くの局が定年延長を実現させた。平成三年四月当時未だ六〇歳定年でなかった二三組合中、六〇歳定年となった組合が一五組合に達する。残り八組合も段階延長等の条件を巡って交渉中である。動向が判明している組合で、依然定年延長に努力義務を果たさず、意図的に拒否している放送局は、被告会社のみである。

被告会社が構造不況業種とするラジオ単営局でも民放労連に加盟している一〇局中、平成三年七月現在、六局が六〇歳定年制であり、残る四局のうち、日本短波放送は段階延長、ラジオ福島は五八歳、大阪放送は五九歳、六〇歳まで再雇用で、五五歳定年は被告会社のみである。開局して日が浅いFM局は、従業員の多くが若く、定年対象者がほとんどいないことと、多くが労働組合もないことから定年延長が緊急の労務問題となっていず、五五歳定年制のまま改定していない局もいくつかあるが、民放労連に加盟している三局中、二局は六〇歳定年で、FM大阪のみが五六歳である。

開局も古く、五五歳定年の対象者が続出している局で、現在なおも定年を五五歳に据え置いている放送局は、被告会社のみである。

(五) 定年制を利用した恣意的人事政策

(1) 被告会社には、嘱託雇用制度が存在し、電話交換手や守衛など当初より嘱託雇用関係にある者のほか、定年を迎えた正社員のうち嘱託として再雇用される者がいた。

ところが、被告会社は昭和六二年三月末をもって嘱託雇用労働契約をすべて解除し、嘱託として行っていた業務の大部分を下請化するとともに、同年四月一四日、非組合員である森軍蔵経理課長が退職するに当たって「参与制度」を新設し、同課長を定年後参与として再雇用した。参与制度が新設されてから平成二年五月までに定年を迎えた者は、一六名であり、そのうちラジオ日本労組の組合員が九名、非組合員が七名である。

(2) 非組合員七名のうち、三名が参与として再雇用され、三名が被告会社と請負契約を締結している。非組合員の定年退職日、退職時の役職、定年後の地位については、別表(三)のとおりであるが、すべての者が定年退職前の業務とほとんど同じ業務についており、非組合員松下孝雄は、平成二年四月より報道部長の要職に就いている。なお、同表には表れていないが、非組合員大谷亘は、退職時、被告会社の子会社である株式会社ラジオ日本制作(以下、ラジオ日本制作という。)の正社員であったが、同会社を定年退職後、参与となり、被告会社の編集部において部長職の一部を担当している。

一方組合員については、別表(三)のとおり、原告ただ一人が被告会社の子会社であるラジオ日本制作と請負契約を締結しているにすぎない。原告が請負契約を締結し得たのは、番組提供主である川崎市からの強い要請があったからにほかならない。

原告が定年解雇されてから平成五年一一月一日までに二三名が定年を迎え、そのうち非組合員は三名が参与として再雇用されたが、組合員は一一名全員が再雇用の途を閉ざされている。

(3) 被告会社は、「参与制度を設けた趣旨は、五五歳で定年を迎えた社員を会社の業務の遂行上どうしても必要とする場合、再雇用するため」としているが、そうであるならば、極端な人減らしによって代替勤務者すら容易に確保できない会社において、定年退職者全員が必要な人材であったことに違いはない。定年で退職を余儀なくされた組合員は、その専門的業務からいっても当然雇用されてしかるべきである。にもかかわらず、組合員の場合一人として参与として雇用されていないのは、明らかに恣意的人事政策によるものであり、不当労働行為意思の表れととられるべきである。

被告会社は、定年延長に重大な利害をもつラジオ日本労組との団体交渉においても誠実な交渉をことごとく拒否し、さらには所轄の芝園橋公共職業安定所からの指導に対しても、被告会社は、「当社としては定年延長をできる状況はない。」と回答し、本訴においても、被告の元取締役編成局長東山義一は、「(このままでは労働省が定年延長を拒否している企業として被告会社の社名を公表する処置をとるとしても)覚悟の上だ。企業の存立を守るためには、そういうリスクも覚悟しなければならない。」などと証言し、法を無視する不誠実な対応をしてきた。

(六) 原告の資質・能力

(1) 原告は、昭和三三年一一月、被告会社(当時の商号は、株式会社ラジオ関東)に入局以来、一貫して女性アナウンサーとして中心的な仕事をこなしてきた。「キャノン・ダンスアルバム」「RFサンデー」「今日の暦」などの長寿番組を担当したのは、局内外の支持があったからこそであり、こうした看板番組を長期間原告に任せたのは、原告のアナウンサーとしての能力・資質に対する被告会社の信頼の証である。原告のアナウンサーとしての能力については、職場でも、同僚からも、スポンサーからも、放送業界からも、聴取者からも高く評価されている。退職後も、最近の原告の仕事ぶりに対する評価は高まりこそすれ、低下したとの声は聞かない。経験豊で習熟した労働者の技能を生かそうとしない被告会社の五五歳定年制は、不合理きわまるものである。原告は、右のような労働能力を持つばかりでなく、被告会社には、「定年」以前から労働契約の延長を申し入れるなど旺盛な労働意欲を有している。

(2) 被告会社は、「大人のラジオ」を標榜し、五〇歳以上の高齢者を対象に、正しい日本語をしゃべれる出演者が伝え手となって番組を送り出していくことを編成方針としているが、このような会社が五五歳定年制に固執し、経験豊な社員を次々に社外へ放りだしてしまうやり方は矛盾に満ちているといわざるを得ない。ちなみに、現在被告会社の番組にレギュラー出演しているパーソナリティーは、ほとんどが五五歳以上の人達であり、しかもそのうちの五人が、かつては被告会社の社員だったことからみても、五五歳定年制の維持がいかに矛盾に満ちているかが明白である。

(七) 本件五五歳定年制の効力

(1) 憲法一三条違反

憲法一三条は、人間の尊厳と幸福追求の権利を保障している。その中には、個人が自己の人格的生存にとって不可欠な事項について、公権力や社会権力から干渉を受けることなく、自ら決定できる権利=自己決定権が当然に含まれる。原告は、本件定年解雇によって、労働関係において自己実現をする権利、労働を通じて社会に関わり、社会的存在として生きる権利を被告会社に奪われた。これが原告の自己決定権を侵害し、原告の人間たる尊厳を危うくし、幸福追求の権利を奪うものであることは明らかである。

(2) 憲法一四条違反

原告は、満五五歳に達したという一事によって、労働を通じて得べかりしすべての利益を失わされた。

憲法一四条は、「法の下の平等」を定める。同条は、直接には「年齢」による差別を規定していない。しかし憲法の人権規定は、限定的に解されるべきではなく、まして近代人権保障において自由権とならぶ根源的な人権である平等権を規定した憲法一四条については、人権思想の発展につれ、むしろ拡大して解釈されるべき性格のものである。したがって、憲法一四条は、直接の規定がなくても、不合理な差別を一般的に禁止したものと解される。そのなかには、合理的理由に基づかない「年齢」による差別もまた禁圧されているものと解すべきである。

日本における一律五五歳定年制は、賃金体系の年功序列、雇用形態における終身雇用制とともに、若い労働力を自由に調達でき、高齢労働者を安心して解雇できた大企業を中心に導入され、昭和三〇年代前半に中小企業にも広く普及されてきた。そして、一律定年制は、雇用保障機能を有するものと説明されてきたが、昭和四〇年代後半から同五〇年代初頭にかけて、不況下の大量人員整理が行われるなかで、定年制に雇用保障機能などないことが実証された。

現在平均寿命は八〇歳の時代を迎え、労働可能年齢も伸長してきており、五五歳で労働能力が減退するものではないという認識が一般的になっている。その上、高齢化社会の到来に対し、高齢労働者の再就職が極めて困難な状況になり、老齢年金支給開始年齢とのギャップがあることから、労働者の生存権の確保のためにも、定年は、老齢年金受給開始年齢を下回らないことが規範的に要請されているのである。このような社会的認識の変化からも五五歳定年制は今や全く合理的根拠を失い、実態として社会慣行としての定年は六〇歳定年に移り、これが妥当とされている。

原告に対する本件定年解雇は、まさに合理的理由のない「年齢による差別」にほかならず、憲法一四条に違反する。

(3) 憲法二五条違反

憲法二五条は、すべての国民に対し、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障する。

原告は、ただ満五五歳に達したという一事によって、労働による収入の途を絶たれ、原告の生存権は危殆にさらされた。とくにわが国の現実が、公的年金制度の整備などに遅れをみせ、公的年金の受給開始年齢が六〇歳にならなければ発生しないにもかかわらず、満五五歳で本件定年解雇を受けた原告は、一方で労働の意欲も能力もあるのにその途を奪われ、他方六〇歳になるまで公的年金も受給できない状況に追い込まれた。原告に対する生存権の侵害は、現実のものとならざるを得なかったのである。

(4) 憲法二七条一項違反

憲法二七条一項は、すべての国民に勤労の権利を保障している。これは、国家に対し、国民に勤労の機会を保障すべき政治的義務を課するだけでなく、私人たる使用者との関係においても、使用者の解雇の自由を制約する法的効果をもつものである。

原告は、本件定年解雇によって、満五五歳をもって端的に勤労の権利を断ち切られたのであり、憲法のこの条項に違反する。

(5) 国際労働社会の公序違反

近年の国際社会では、とりわけ高齢労働者の人権問題が、ILO(国際労働機関)や国連で論議され、そこからさまざまな国際条約や勧告等のなかに、新たな高齢労働者のための具体的な人権保障の機能が盛り込まれるに至った。この動向は、労働者の現実の生活環境や労働条件に即して人権尊重の基本理念を豊かに具体化しようとする国際レベルの一致した認識に基づくものであり、こうして結実した高齢労働者の国際レベルの人権保障規定は、まさに現代国際労働社会の公序としての規範的意義を有する。のみならずそれは、わが国の憲法原理に合致する限り、わが国の労働社会における公序の基準としても共通の規範的意義を有するものにほかならない。

国連は、第三回総会(昭和二三年)で世界人権宣言を総会で採択した。そこには、「すべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利について平等である。」(一条)、「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、民族的又はこれに類するいかなる差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。」(二条)と明記され、その権利のうちに「すべて人は、労働し、職業を自由に選択し、公正でかつ有利な労働条件を確保する権利」、「同等の労働に対し、同等の報酬を受ける権利」(二三条一、二項)が具体的に明記された。

さらに昭和四一年の第二一回国連総会は、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(通称A規約)と、市民的及び政治的権利に関する国際規約(通称B規約)を採択したが、このA規約六条には、「この規約の締約国は、労働の権利を認めるものとし、この権利を保障するため適当な措置をとる。この権利にはすべての者が自由に選択し、又は承諾する労働によって生計を立てる機会を得る権利を含む。」と明記された。このA、B規約は、ともに日本政府も批准し、昭和五四年に日本でも発効した。

このような動向のなかで、昭和六〇年のILO第六六回総会では、中高年労働者の国際的な最低労働基準を特別のテーマとする討議が行われ、その結論として、同年六月二三日、「高齢労働者に関する勧告」(第一六二号勧告)が、満場一致で採択された。そこには、一四四加盟国のうち日本を含む一三八ヵ国から、それぞれの政・労・使代表が総勢で約一八〇人参加している。

ILO一六二号勧告によれば、まず「機会及び待遇の均等」(Ⅱ)については、「各加盟国は、年齢にかかわらず労働者の機会及び待遇の均等を促進するための国家の方針並びにこの問題に関する法令及び慣行の枠内で高齢労働者に関し雇用及び職業における差別待遇の防止のための措置をとるべきである。」(三項)とされ、国内事情・慣行に適する方法により、三項で掲げられた「方針の承認及び遵守を確保することを目的とする法令を制定し、及び、又は計画を促進すべき」ことを各加盟国に要請(四項C)するとともに、「高齢労働者は、その年齢を理由とする差別待遇を受けることなしに、特に、次の事項に関し、他の労働者との機会及び待遇の均等を享受すべきものである」として、「雇用保障」(c)、「同一価値の労働に対する報酬」(d)などの具体的な保障内容が明らかにされている(五項)。また、同勧告は、高齢労働者の「保護」(Ⅲ)に関して、「労働生活のすべての段階での労働条件及び作業環境を改善するための国家の方針の枠内において、…高齢労働者が適切な条件の下で引き続いて雇用されることを可能にすることを目的とする国内事情及び国内慣行に適した措置が策定されるべき」こと(一一項)を含めた詳細な保護内容(作業環境・労働条件の改善など)を規定し、さらに「引退の準備及び引退への接近」については「労働生活から自由な活動への段階的移行を認める枠内で、引退が任意的であることを確保すること」(二一項a)、「特定の年齢の雇用の終了を強制的なものとする法令その他の規定は、三項及び二一項の規定に照らして検討されるべきである」(二二項)ことが要請されるに至った。

さらに、ILOでは、昭和五七年の使用者の発意による雇用終了条約(一五八号)において、労働者の雇用終了につき労働者の能力もしくは行為に関連する「妥当な理由」、又は企業、事業所もしくは施設の運営の必要に基づく「妥当な理由」が必要であるとし(四条)、同勧告(一六六号)では退職に関する国内法令及び国内慣行に従うことを条件としつつも、「年齢を雇用終了の妥当な理由となすべきでない」と明定するに至っている(五項a)。

こうして、ILO一六二号勧告・一五八号条約・一六六号勧告等により、高年齢労働者が年齢を理由とする差別を受けることなく、他の労働者との機会及び待遇の均等を享受すべきこと、労働生活からの引退が自由意思によらねばならないことが、現代国際労働社会での公序であるべきことを確認されるに至ったのである。

そうした確認に決定的な影響を与えたと思われるものに、昭和四二年制定のアメリカでの「雇用における年齢差別禁止法」があった。同法は、使用者などが高年齢労働者の年齢を理由として、雇い入れ、解雇、労働条件等についての差別的取扱を禁止することを定めたものである。当初差別的取扱禁止の年齢範囲を「四〇歳以上六五歳未満」としていたが、昭和五三年の法改正により、連邦公務員の上限年齢が撤廃され、それ以外の労働者の上限年齢が「六五歳から七〇歳」に引き上げられた。だが、それでも相変わらず七〇歳に達した労働者の誰でもが解雇さるべき合理性に乏しいと思われていたので、昭和六一年の同法改正によって、すべての労働者に対する七〇歳の上限年齢が原則として撤廃されるに至った。こうして同法は、わずかに、年齢が合理的にみて当該業務の遂行に必要とされる「真正な業務上の資格」である場合、年齢以外の合理的な要因に基づく区別がなされる場合などについて例外的な取扱を認めるにすぎないことを明らかにしたものである(第四章f)。

このように今日、国際社会においては、ILO一六二号勧告を中核とする諸法源によって、①高年齢労働者が年齢を理由とする差別を受けることなく、また②労働生活からの段階的引退が労働者の自由意思に基づくべきであること、が公序となっている。原告に対する本件定年解雇は、なによりも原告が満五五歳に到達したというだけの理由に基づくものであって、これはまさに年齢による差別以外のなにものでもない。また原告は、本件定年解雇によって即時的に、しかも原告の労働継続の強い意思を踏みにじって、労働関係から放逐されたのである。これほど労働者の自由意思に基づく段階的引退と無縁なものはないであろう。本件定年解雇が、この国際労働公序に真向から背反していることは明白である。

(6) 高年齢者雇用安定法違反

わが国政府は、昭和六〇年七月、内閣に長寿社会対策関係閣僚会議を設置し、翌年六月、「長寿社会対策大綱」を閣議決定した。同大綱では、①雇用・所得保障、②健康・福祉、③学習・社会参加、④住宅・生活環境、⑤研究開発の推進の五点について、総合的な施策を関係各省庁が推進することとしている。併せてその実施状況も関係閣僚会議に報告させ、フォローすることとした。この異例の決定は、急速に進む高齢化社会に対する対応が、もはや猶予できない状況にあり、政府として不退転の決意を内外に示す必要があったからである。最大の問題である雇用・所得保障について「大綱」では、「六〇歳定年の定着・六五歳までの継続的雇用の促進」を掲げ、昭和六一年一〇月、「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」(以下、高年齢者雇用安定法あるいは単に法ともいう。)が施行された。平成二年さらに改正され、平成五年度中の六〇歳定年制の完全定着と六五歳までの継続雇用が求められることとなった。

高年齢者雇用安定法は、高年齢者の雇用の場を確保し、雇用を促進するための諸施策を講じることを目的としている。同法の定める高年齢者の雇用の確保・促進のための諸施策は、事業主による定年の引上げを土台とするものであり、これに国や地方公共団体による高年齢者雇用安定センター等の諸制度の整備と運用を上積みすることによって総合的に高年齢者の職業の安定その他福祉の増進を図るものとなってる。すなわち、同法はまさに官民一体となって高年齢者の雇用の場を確保し、雇用を促進するための施策を遂行することを定めているものであるが、その施策の根幹に事業主による定年の引上げを位置付けているのである。高年齢者雇用安定法は事業主に「定年が六〇歳を下回らないように努力するものとする」(四条)と定めて、事業主に六〇歳定年制を実現するための努力義務を課している。同法は、労働大臣が六〇歳を下回る定年制を定めている事業主に対して定年を六〇歳まで引き上げることを「要請する」ことができ(四条の二)、定年の引上げに関する「計画の作成を命ずる」ことができるものとし(四条の三)、この「計画が著しく不適当」であるときは計画の「変更を勧告」することができるとしている(四条の三)。さらに、右計画を作成しないとき、同計画を提出しないとき、右勧告に従わないときには、「その旨を公表することができる」(四条の四)として、「正当な理由」なく六〇歳定年制を採用しようとしない事業主に対して厳しい処分を課すことにしている。さらに同法は、定年(六〇歳以上六五歳未満の者)の到達者が再雇用を希望する場合には、六五歳に達するまで雇用を継続すべき努力義務を事業主に課している(四条の五)。これは、同法で定める六〇歳定年制が六五歳までの雇用の場を確保するための最低限の基盤として位置付けられていることを示すものにほかならない。

以上の点からして、高年齢者雇用安定法が事業主に課している六〇歳定年制実現への努力義務は、六〇歳定年制の実現を義務づけるに近い高度かつ具体的な努力義務であるといえる。そうすると、同法四条の二で定める六〇歳定年制を実現し難い「特段の事情」は、厳しい限定解釈によって確定される必要がある。施行令一条は、右の「特段の事情」について、六つの事由をあげ、これに該当する場合には労働大臣が定年の引上げ要請を行わないとしている。

本件において問題となるのは、「労働大臣の定める一定期間において、連続して、経営損益の計算上損失を生じており、かつ、新たに労働者を雇い入れていないことその他事業活動に著しい支障が生じていること」(一号)である。同法四条は、事業主に「特段の事情」が認められる場合に、当該事業主の六〇歳定年制の努力義務自体を免除したものではなく、労働大臣が六〇歳以上の定年引上げの「要請」を差し控えることを定めたのものであるから、「特段の事情」が認められる事業主とは、労働大臣が六〇歳以上の定年引上げの「要請」及びこれに引き続く「計画の作成」や「勧告」を行っても意味がないという程度に事業活動に著しい支障が認められる場合に限られる。被告会社は、六〇歳定年制実現の努力義務が免除される右「特段の事情」があると主張するが、被告会社において連続して計上損失を出したことはない。円高不況時の第三九期決算期(昭和六〇年四月一日から同六一年三月三一日まで)には、日本の多くの企業同様赤字決算となり、一億七〇〇〇万円の計上損失を出したが、翌第四〇期決算期(昭和六一年四月一日から同六二年三月三一日まで)は、一億三二〇〇万円の計上利益を出している。しかも第三九期決算期の赤字も前記までの利益の積立てが三億五〇〇〇万円ほどあり、これを取り崩せば黒字計上が可能であった。

高年齢者雇用安定法は、高年齢者の雇用を確保・促進するために六〇歳定年制を基盤として設定し、事業主に対して六〇歳定年制実現の行政法上の高度かつ具体的な努力義務を課したものであるが、同法がわが国の産業社会において六〇歳定年制が普遍妥当性を有する公序として受け入れられていることを確認して定められたことからして、六〇歳定年制が私法上の公序をも形成し、高年齢者雇用安定法に対する努力義務違反が私法上の公序良俗違反として認められる場合があることは明らかである。

(八) 結論

前記憲法上の諸人権は、民法一条、一条の二及び九〇条を介して間接的に私人間に適用され、また前記国際公序は、憲法九八条二項を介して国内公序へと転化し、高年齢者雇用安定法や不当労働行為制度等労働行政立法も民法九〇条を介して私法的法規範へと転化する。五五歳定年制は、このようにして間接的に、あるいはこれら憲法、国際公序、労働行政立法上の諸規範に照らして直接的に、公序良俗に違反し、権利の濫用、信義則違反に該当し、違法・無効であることは、誰の目にも疑いはない。そして、被告会社の定年延長に対する敵対的な対応を考慮すれば、本件定年解雇の違法・無効は一層明確になるものである。

(被告の認否・反論)

(一) 定年退職制度

(1) 一般に、定年制度は、労働者が所定の年齢に達したことを理由として、自動的に、又は雇用の意思表示によってその地位を失わせる制度であり、①なんらの意思表示を行うことなく自動的に労働契約を終了せしめるもの(定年退職制度)と、②定年に達したことをもって解雇の理由とし、解雇の意思表示によって労働契約を終了せしめるもの(定年解雇制度)とがある。

(2) 被告会社の定年制度は、満五五歳という年齢に到達したことをもって、雇用契約が終了し当然に退職となることを定めた定年退職制度を採用しているのである。

定年退職制度は、就業規則の定めにより定年という一定の事由の発生により使用者又は労働者のいずれの当事者の意思表示を待たずに当然に労働契約を終了させる制度であるから、解雇の問題は生じないし、また労働基準法一九条に定める解雇制限の問題も生じない。

そして、定年退職制度においては、労働者は定年に達するまでの間にいつでも自由に退職することができるし、また使用者も労働者を解雇することができるものであるから、定年は労働契約の存続期間を定めたものではなく、労働契約に最終期限が付せられているもの、即ち、労働契約の終期を定めたものである。

(二) 放送業界における定年制の実態

(1) 原告が退職した平成二年一月一日時点における一般企業の定年年齢の状況を労働省統計調査月報平成二年七月号でみると別表(四の一)のとおり、被告会社と同規模である三〇人から九九人規模の企業では、六〇歳以上の定年を定める企業は、60.6パーセントに止まっており、未だ約四〇パーセントの企業が六〇歳未満の定年年齢を定めている。また、全事業所でみると、五五歳以下の定年を定める企業割合は、19.8パーセント、五六歳から五九歳の定年を定める企業割合が16.2パーセントに達している。このような現状において、六〇歳未満の定年年齢を定めることが直ちに公序良俗に反するといえないことは明らかである。

(2) そして、被告会社も加盟する日本民間放送連名(以下、民法連という。)の調査によれば、平成二年一二月一〇日現在の民間放送各社の定年制度の状況は、別表(五)のとおりである。これによると、六〇歳未満の定年を採っている企業は、一五八社中、五六社で35.5パーセントであり、五五歳定年制に限ってみても三八社(24.1パーセント)に昇っている。但し、同調査では、定年延長を段階的に実施している会社の場合、最終完成時の定年年齢をもって集計をしているため、六〇歳定年を採用していると集計された一〇一社(63.9パーセント)の中には、平成二年一二月の調査時点では未だ六〇歳定年に到達していない会社が二八社含まれている。したがって、右各社では平成二年一二月一〇日の時点では実際には六〇歳定年が実施されていないのであるから、これらの会社を未だ六〇歳定年が実施されていない会社として集計すれば、六〇歳未満定年制を採っている会社は、一五八社中、八四社に昇り、過半数である53.2パーセントに達する。原告の六〇歳未満の定年を定める定年制度が公序良俗違反であるとの主張が不当であることは、右調査結果に表れた民放連各社の定年制の実状からしても明らかである。

(三) 被告会社の参与制度

(1) 被告会社従業員のうち、三名(森軍蔵、中村信介、大谷亘)が定年退職後参与として再雇用されたこと、昭和六二年四月以降に被告会社を定年退職した従業員の定年退職日、退職時の役職が別表(三)「参与制度実施後の定年退職者の動向表」のとおりであること(但し、定年後の地位は否認する。)、松下孝雄が平成二年四月より報道部長に就いていること、大谷亘が定年退職時ラジオ日本制作の正社員たる地位にあったこと、及び同人が定年退職後被告会社の参与として雇用され、被告会社の編集部において部長職を担当していることは、いずれも認める。

(2) 参与は、会社が業務上必要であると認めるときに採用するものであって退職者が被告会社との契約を選択したから採用するというものではない。すなわち、参与は、被告会社の業務の遂行に必要欠くべからざる者に限って、一年以内の期限を定めた契約で再雇用するものである。したがって参与に採用するかどうかの基準は、本人の担当業務における必要度がすべてであり、本人の同意が前提であることはいうまでもないが、本人の希望によって参与に採用するかどうかを決めるものではない。このことは、被告会社が参与制度設置後の定年退職者一七名のうち、参与として採用したものは、わずか四名であること、しかし、そのうちの一名は、定年退職時他社に勤務していた者を採用したものであることからも裏付けられる。

(3) そして、右四名を参与として採用したのは、以下の理由によるものである。

① 森軍蔵

同人は、退職時、経理部長の職にあって、昭和六二年四月一四日の定年退職後の翌一五日に参与として採用され、平成元年一二月三一日退職した(参与在職約一年八か月)。

同人が定年退職した当時、被告会社では、第四〇期決算期(昭和六一年四月一日から同六二年三月三一日まで)において前記(第三九期決算期)同様損失を出し、累積損失二億五五三三万六七六五円を計上して、業績が最も悪化した時期であり、番組制作・イベント開催等の業務の外注化によって再建を図っている途中であった。右再建策の作成・実行には、特別退職加算金の支出等が必要であり、これはまさに経理部長の職務であった。したがって、再建案の連続性を維持し、経営の再建を図る被告会社の業務の必要上、経理部長である同人に引き続き経理部長職を遂行させる必要があって、参与として採用したのである。そして、同人は、累積損失解消の目途の立った平成元年一二月三一日に参与を退職した。

② 松下孝雄

同人は、退職時、横浜報道部長の職にあって、平成元年四月一三日定年退職したが、翌一四日に参与として採用され、現在もまだ参与である。

同人は、横浜報道部長の要職にあった関係で、被告会社が横浜に建設する新社屋建設計画に当初より関わり、地権者等との折衝等に当たっていた。このため、被告会社は、地権者等との折衝等、新社屋建設計画遂行の継続性を確保する必要があり、その限りにおいて、同人が被告会社の業務の上で必要であるため参与として採用しているものである。

③ 中村信介

同人は、退職時、小田原放送局担当部長の職にあって、平成元年八月三〇日定年退職後、同年一一月一日参与として採用され、平成二年一〇月三一日退職した(参与在職一年)。

同人は、退職時、小田原放送局担当部長として、小田原市が主催し、被告会社が協賛して歌謡ショーなどを開催する小田原市制施行五〇周年記念イベント「ときめき小田原夢まつり」の被告会社担当者であった。同人は、定年退職により一旦被告会社の籍を離れたが、右イベントの実施にあたって被告会社に支障が生じたため、右イベントの実施のため同人が業務上必要となって、退職後参与に採用したものである。そして、右イベント終了に伴い、参与契約終了時をもって退職した。

④ 大谷亘

同人は、被告会社の番組制作・イベント開催の外注化のための関連会社への移籍募集に、昭和六二年三月三一日応募して被告会社を退職し、翌四月一日ラジオ日本制作へ移籍した。その後、平成二年四月一七日同社を定年退職し、翌一八日、被告会社の参与として採用された。

同人は、被告会社に昭和三五年入社し、制作プロデューサー、編成課長、制作副部長を経て現在に至るまで、番組制作の現場に携わり、田辺康雄、梓みちよのデビューに貢献した他、黛ジュンらの番組起用に成功するなど、新人の発掘、起用に能力を発揮した。また、被告会社が主催し、神奈川県では中心的なイベントである横浜音楽祭では演出チーフとして通算一四年の実績がある。被告会社では、音楽番組を制作する場合、平成二年四月以降は、それぞれのジャンルに編集担当者を配置し、各ジャンルに責任を持つというシステムを採用した。被告会社としては、右のように音楽番組の制作の実績があり、企画能力に優れ、また出演者とのつながりの深い同人を必要としたが、ラジオ日本制作に参与制度がないため、被告会社の参与として採用したものである。

(4) これに対し、組合員木下宏裕、同石井元彦、同加勢和昭、同岩井婦美枝の退職時の業務上の必要は、以下のとおりいずれも認められるものではなかった。そして、同人らは、いずれも定年によりなんら異議を留めることなく円満に退職しており、参与として雇用せよ等との申出も一切なかった。同人らが定年により被告を退職したことと組合員であったこととはなんら関係がない。

① 木下宏裕

同人は、一級無線技術士の免許を有するところ、最小規模の放送局で二四時間放送する場合には四名の一級無線技術士を確保するよう行政指導されているが、同人が定年退職した時点で被告会社には四名の一級無線技術士がいたので、同人を参与として雇用する業務上の必要がなかった。

② 石井元彦

同人は、被告会社においてコマーシャル制作を担当していたが、同人が制作していたコマーシャルは、スポンサー及び代理店を通して送られてきた原稿をもとに、二〇秒ないし四〇秒のコマーシャルにするというものであって、それは他の従業員でも制作できるので、同人を参与として雇用する業務上の必要はなかったのである。

③ 加勢和昭

同人は、定年前に中村信介とともに小田原放送局に勤務し、「ときめき小田原夢まつり」の業務に関与していたところ、右中村は、小田原支局に昭和六二年三月二五日に着任しており、その後加勢は、中村の部下として、約一年後の昭和六三年四月二〇日に着任した。加勢が定年退職したのは、平成元年三月一三日であるから、同人が小田原放送局で勤務していたのは約一一ヶ月にすぎなかったのであり、「小田原夢まつり」の企画、地元との折衝などは、いずれも中村が主体となって担当していたものであって、加勢を定年後も参与として雇用する業務上の必要はなかった。

④ 岩井婦美枝

同人は、被告の開局以来、レコード室に在籍してレコードや音楽資料の分類、管理を行っていたが、同人がいなくても必要なレコード等は索引を調べることで探せるのであって、同人を参与として雇用する業務上の必要はなかった。

なお、組合員の樋口忠正は、平成五年二月二〇日定年退職したが、被告会社は、同人が競馬・競輪のアナウンサーとして優れた業務を遂行していたことから、被告会社としては、業務上の必要性を認め、同四年秋より、参与としての再雇用を打診し、同五年一月一八日正式に再雇用の申出をした。しかし、同人はフリーになるといって断ってきたため、現在出演契約を締結して被告会社の競馬・競輪番組のアナウンサーとして出演している。

(5) 原告が参与に採用されなかった理由も、以下のとおり被告会社の業務の円滑な遂行に必要欠くべからざる人材とはいえないからである。

被告会社は現在中高年齢者を聴取者の主たるターゲットとし、そのため野球、競馬中継、ニュースとその解説、演歌・ナツメロを番組の柱としているが、野球・競馬中継は、専門のスポーツアナウンサーが担当し、ニュースとその解説は、報道部の記者が担当する他、外部の評論家の出演によって放送されており、音楽番組も単にレコードを流すだけでなく、パーソナリティーを起用してそのパーソナリティーの個性を中心に番組を構成することから、ネーム・バリューのある芸能人やアドリブのできるアナウンサーを起用する。パーソナリティーにはアドリブのきかない原稿読みの訓練しかされていない者は適当ではない。被告会社には、女性アナウンサーが原告を除いて三人おり、他にもフリーのアナウンサーが多数いることから仕事の補充は可能であり、一人が退職しても他の者で補充することは可能である。

原告が退職時点で担当していた番組は、川崎市の広報番組「声のひろば」(月曜日から金曜日、五分ベルトの番組)と「歌の町、花の町」(月曜日から金曜日、五五分のベルト番組)の二本のみであった。いずれも被告会社の看板番組ではなく、広告のセールス状況も聴取率もみるべきものはなく、「歌の町、花の町」は、原告の退職後番組打切りとなっている。もっとも、「声のひろば」は、原告が長い間担当してきたことでもあり、原告に引き続き担当させるのが適当と認め、他のフリーのアナウンサーと番組単位の出演契約を締結しているのと同様、原告との間で右番組についての出演契約を締結しているのである。したがって、被告会社としては、原告を参与として採用する必要はなかったし、現在もその必要はないのである。

以上のとおり、被告会社が原告を参与として採用しなかったことは、原告が組合員であるがゆえの不利益取扱ではない。

(四) 原告の資質・能力

(1) 原告が被告会社において、「キャノン・ダンスアルバム」、「RFサンデー」、「今日の暦」等の番組に出演したことがあったことは認める。

アナウンサーは、声という生理的な機能を使う職業であるから、年齢を重ねるに従って適性が低下する。スポーツ・競馬アナウンサー及び生ワイド番組のパーソナリティーも「声」を使う以上、加齢に伴う生理的機能の低下は一般のアナウンサー同様、避けることはできない。ただ、スポーツ・競馬アナウンサーの場合は、スポーツ・競馬の実況中継、分析が番組内容であることから、無原稿で、スピーディーに、そのスポーツ・競馬の専門知識を動員して分析しながら行うという特殊な技能が要求される。またワイド番組のパーソナリティーも、生番組に出演し、かつ比較的長時間の番組でいくつかのコーナーをつないでいく性質上、その場の状況に応じたしゃべりと特別な個性や感性が要求されるのである。原告が主張する被告会社の番組に出演している五五歳以上のアナウンサーは、ほとんどがスポーツ・競馬アナウンサーである。

(2) 原告は、被告会社において、とりたてて女性アナウンサーとして優れた業績を遂行してきたわけではなく、また加齢による適性低下を補うほどの個性や感性を持ったアナウンサーではなく、ごく普通のアナウンサーであった。そして、スポーツ・競馬アナウンサーやパーソナリティーとは異なる原告の場合、年齢を重ねるに連れてアナウンサーとしての適性を失っているのである。

(五) 本件五五歳定年制の効力について

(1) 憲法一三条、一四条、二五条、二七条一項違反について

定年退職制度を無効とする法令はなく、高年齢者雇用安定法も定年制の存在を前提としている。判例及び学説も定年制が有効であり、合理性を有することを肯定している。

(2) 国際労働社会の公序違反について

ILO勧告が勧告という形式で採択されたのは、高齢労働者の問題は各国の経済社会的事情や慣行と密接に関連している問題であるので、各国の多様な事情を勘案した弾力的なものとすべきであるとの理由によるものであり、勧告内容においても「可能な場合には」とか「段階的に」という弾力的表現がしばしば用いられている。したがって、各国の多様な事情を離れて、勧告の内容が「現代国際社会の公序」なるものを形成するものでないことは明らかであり、またこの勧告の存在によってわが国において合理的であり有効な制度と認められている一律定年制が公序良俗違反として無効とされることはない。

アメリカにおける「雇用における年齢差別禁止法」は、同国の国内法であって、わが国の雇用関係になんらの効力を及ぼすものではない。また、アメリカでは、いわゆる期間の定めのない雇用契約においては、使用者は、被用者を「いついかなるときでも、意のままに、事由のいかんを問わず、また(解雇すること自体が)法に触れないかぎり、道徳上許されないような事由によってすら、解雇できる」とのコモン・ロー上の法理があり、基本的には定年退職までのいわゆる終身雇用制を前提とし、解雇権に事実上大幅な制限を加えているわが国の雇用関係とは全く異なった雇用関係を背景としている。

(3) 高年齢者雇用安定法違反について

昭和六一年一〇月、高年齢者雇用安定法が施行されたことは認めるが、同法四条の努力義務規定は、直ちに公序良俗違反を裏付けるものではない。同法四条の規定は、私法上の強制力を持つものではなく、同法は、六〇歳定年の努力義務の趣旨を踏まえ、企業の自主的な努力をできる限り尊重しながら、その履行を促進していくことをめざしている。つまり、定年の引上げは、企業の経営、雇用管理と深い関わりを持ち、事業主の自主的努力によって実現されることが適当であると考えられるため、努力義務の履行を求めて初めから引上計画の作成を命じることはせず、命令・勧告より弱い形式である要請による行政措置を講ずることとしている。

高年齢者雇用安定法四条の二は、「労働大臣は、六〇歳を下回る定年を定めている事業主であって、政令に定める基準に従い、六〇歳を下回る定年を定めることについて特段の事情がないものと認めるものに対し、当該定年を六〇歳以上に引き上げるように要請することができる。」と規定する。右「特段の事情」について、施行令一条は、「労働大臣の定める一定の期間において、連続して経常損益の計算上損失を生じており、かつ新たに労働者を雇い入れていないことその他その事業活動に著しい支障が生じていることにより定年を六〇歳以上に引き上げることが困難であると認められること」(一号)と規定する。ここで、「労働大臣の定める一定の期間」とは二年間と定められており、「経常利益の計算上損失を生じて」いることとは、株式会社においては商法二八一条一項に規定する損益計算書において、経常損失が計上されていることをいい、具体的には営業利益と営業外利益の合計額が営業費用と営業外費用の合計額よりも小さい場合をいい、「新たに労働者を雇い入れ」ることは、いわゆる学卒新規採用であると中途採用であるとを問わず、また人員増となる場合であると欠員の補充として行われるとを問わず、日々又は期間を定めて雇用される者を除くすべての労働者の雇い入れをいうものである。

この趣旨は、定年の引上げが人件費の増加等企業の経営に深い影響を及ぼすことにかんがみ、既に事業活動に著しい支障が生じて定年の引上げの余裕がない企業について努力義務を免除しようとしたものである。

被告会社においては、昭和六〇年から同六二年にかけて急激な円高の進行による経済不況の影響を受け、また商売上の強力な競争相手である横浜エフエムの誕生により、経営環境が険しくなり、昭和六〇年度以降業績が急激に悪化し、別表(六)「決算推移表」のとおり、第三九期決算期(昭和六〇年四月一日から同六一年三月三一日まで)には、営業収益が四五億三一一四万七一七八円と、前記に比較して約五億円の落ち込みとなり、一億八四七一万八三八九円の当期損失、一億六一六五万二一五二円の繰越損失を計上し、第四〇期決算期(昭和六一年四月一日から同六二年三月三一日まで)には、四二億八五八八万六一三四円の営業収益であり、九三六八万四六一三円の当期損失を計上し、第三九期決算期から第四一期決算期(昭和六二年四月一日から同六三年三月三一日まで)に至るまで、累積して繰越損失を計上した。

被告会社では、経営を立直すには、省力化とこれまで自ら行ってきた番組制作等の業務を関連会社に委嘱する等業務の分業化の方向しかないと考え、希望退職の募集や、被告会社及び被告会社の役員、社員が株主となり、被告会社の番組の制作を主に担当するラジオ日本制作を設立し、同社やその他関連会社に社員を移籍させることとし、その結果、被告会社において昭和六一年三月に嘱託社員を含め、社員が一六〇人在籍していたところ、翌年の昭和六二年三月には一一八人に減少した。

すなわち、被告会社は、昭和六一年六月二〇日(第一次)及び同年一二月一五日(第二次)に、全社員を対象として希望退職者を募集したところ、第一次募集について男子三名、女子三名の合計六名が、第二次募集について男子三名、女子一名の合計四名が、それぞれ応募し、希望退職した。また、被告会社は、昭和六二年一二月一五日、ラジオ日本制作設立を発表し、全社員を対象として、同社及び被告会社の関連会社で、音楽著作物の著作権等の管理を目的とする株式会社アール・エフ・ラジオ日本音楽出版(以下、アール・エフ・ラジオ日本音楽出版という。)、同じく被告会社の関連会社でイベント等の開催を目的とする株式会社アール・エフ・ラジオ日本サービス(以下、アール・エフ・ラジオ日本サービスという。)への移籍を募集した。右募集について、ラジオ日本制作へ男子一二名、女子二名の合計一四名が、アール・エフ・ラジオ日本音楽出版へは男子一名が、アール・エフ・ラジオ日本サービスへは男子二名の総合計一七名が応募し、被告会社を(移籍)退職した。その他この間に、二名が自己都合退職し、男子三名、女子七名合計一〇名が嘱託期間満了により退職し、三名が定年退職したため、合計四二名が被告会社を退職した。

被告会社は、さらに経営の省力化と業務の分業化を図り、昭和六二年一一八名いた社員を昭和六三年三月には九八名に減少させた。すなわち、被告会社は、昭和六二年七月一五日、全社員を対象として希望退職募集と関連会社への移籍希望者募集をしたところ、希望退職者募集について、男子四名、女子一名の合計五名が応募して退職し、関連会社への移籍募集について、ラジオ日本制作へ男子一名、女子一名の合計二名が、アール・エフ・ラジオ日本音楽出版へ男子一名がアール・エフ・ラジオ日本サービスへ男子一名が応募し、被告会社を(移籍)退職した。その他この間に、五名が自己都合で、二名が定年で退職し、役員に昇格して社員の身分を離れた者など四名を加え、総合計二〇名が被告会社を退職した。

被告会社では、さらに昭和六三年四月より平成元年三月までの間に、自己都合退職者三名、定年退職者五名の合計八名が退職したため、平成元年三月末の時点では、社員数は九〇名となった。

被告会社では、経営の省力化、番組制作・イベント開催等の関連会社への外注化による業務分業化の努力が徐々に実り、また昭和六二年以降の好景気により営業収益が回復したことが背景となり、第四二期決算期(昭和六三年四月一日から平成元年三月三一日まで)になり、漸く繰越損失の解消を達成できた。

被告会社では、昭和五九年以降、特殊な職能を必要とするスポーツアナウンサーが自己都合退職したことの補充として、昭和六一年に一名新規採用したのみであり、ほとんど新規採用をしていない状況であるから、被告会社における定年の六〇歳への引上げは、被告会社の企業経営に重大な支障を生ぜしめるものであって、原告が定年退職した平成二年二月二八日の時点においては被告会社が六〇歳定年制を採用していないことをもって、公序良俗に反するとは到底いえない。

(六) 結論

以上のとおり、原告が五五歳定年規定を公序良俗等違反として挙げるものは、いずれも根拠を欠く全く理由のないものであって、五五歳定年規定は、公序良俗違反等になるものではない。しかも原告は、退職に当たって被告会社から退職金を受領し、離職手続を行っているのであって、かかる行為は、本件退職が有効であることを自認するものにほかならない。

したがって、本件定年退職は有効であるから、本件請求は理由がなく棄却されるべきである。

第三  争点に対する判断

一  争点1(定年制の法的性質)について

1  定年退職予告

争いのない事実と証拠(甲一八、原告本人)によれば、被告会社の就業規則六六条三号には、「社員が停年に達したときは、退職とする。ただし、会社が必要と認めたときは、嘱託として再採用することがある。」と規定され、同規則六九条には、「停年退職は、満五五歳とする。ただし、会社が特に必要と認めたものにかぎり停年を延長することがある。」(一項)、「前項の停年退職には、三〇日前に退職の予告をする。」(二項)と規定されており、被告は、原告に対し、右規則六九条二項に基づき、原告が満五五歳に達した平成二年二月二八日の三〇日前に、定年退職予告をしたことが認められる。

2  定年退職予告と雇用契約の終了

原告は、本件五五歳定年制をもって、労働者の解雇事由ないし解雇基準を定めたものである旨主張するので、右定年退職予告をもって、解雇予告の意思表示と解することができるかどうかについて判断する。

(一) まず、被告会社の就業規則の規定の構造・内容をみてみると、同規則六六条に退職に関する規定があるが、「社員が死亡したとき」(一号)及び「自己の都合により退職を願い出て受理されたとき」(二号)と並べて定年退職に関する同条三号の規定が置かれている。そして、就業規則六七条に解雇に関する規定があり、同条一号ないし九号に該当する事由があるときには、(通常)解雇することがある旨規定され、右各号の解雇事由については、「休職期間が満了したとき」(一号)、「仕事の能力がはなはだしく劣るとき」(二号)、「精神又は身体障害により業務を耐えられないと認めたとき」(三号)、「行状又は勤務成績が社員として勤務させるのに適当でないと認められるとき」(四号)、「はなはだしく職務に怠慢なとき」(五号)、「会社業務の運営の妨げ、又は著しく協力しないとき」(六号)、「職制の改正、経営の簡素化、事業の縮小及び廃止により剰員となったとき」(七号)、「前各号のほか、経営上やむを得ない必要のあるとき」(八号)、「五九条に定める制裁解雇の基準に該当したとき」(九号)と規定されている。

(二) 右のように、被告会社の就業規則上、定年退職と解雇とは明確に区別されており、これまで社員が満五五歳の定年に到達したときには、退職となるかどうかについて被告会社の裁量を許さず、一律かつ当然に退職するものとして取扱ってきており、被告会社の労働者もそのように認識していたものと認めることができるのであるから、定年制度により、就労能力及び就労意欲を有する労働者をその意に反して退職させることがありうることの一事をもって、これを解雇と同列に置くことは相当でないというべきである。

したがって、本件五五歳定年制は、満五五歳の到達により被告会社または労働者のいずれの当事者の意思表示なくして当然に雇用契約を終了させる制度であり、被告の原告に対する前記定年退職予告の意思表示は、定年によって雇用契約が終了する旨の通知にすぎないものと解するのが相当である。

二  争点2(公序良俗違反、権利濫用、信義則違反)について

1  定年退職制の合理性

およそ定年退職制は、一般に、老年労働者にあっては当該業種又は職種に要求される労働の適格性が逓減するにもかかわらず、給与が却って逓増するところから、人事の刷新・経営の改善等、企業の組織及び運営の適正化のために行われるものであって、一般的にいって、不合理な制度ということはできない(最高裁判所昭和四三・一二・二五大法廷判決・民集二二巻一三号三四五九頁)。

しかしながら、雇用契約における定年制度の合理性は、定年年齢と社会における労働力人口との関連において、企業における限られた雇用可能人員の中で、人件費負担増の防止、労働能力が減退した労働者の交替、若年労働者の雇用の必要性、人事の停滞回避、企業活力の維持等のために企業経営上必要とされる限度において社会的に許容されるものであるから、それは、当該定年年齢、社会における労働力人口、企業経営をとりまく諸事情を総合考慮して判断すべきものと考えられる。しかも、定年制度の改革は、賃金制度、人事管理制度、能力維持開発訓練制度と密接に関連するものであり、これらは労使の合意の上に成り立つものであり、その自主的努力の集積によって普遍化するものであるから、本件五五歳定年制を原告に適用することが公序良俗違反、権利濫用、信義則違反に該当し無効であるといえるためには、本件五五歳定年制についての被告会社におけるこれらの対応等が社会的相当性を欠くものであることを要するものといわなければならない。

2  本件訴訟に至る経過

争いのない事実と証拠(甲五、一七、一九、二〇、二一ないし二三の各一、二、甲二六、二七及び二八の各一、二甲四七、五六、八一の一、二、甲九九、乙四九の一、二、乙五二ないし五四、証人磯崎弘幸、同吉田正博、同深石純一、原告本人)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和三三年一一月一日被告会社(当時の商号は、「株式会社ラジオ関東」)との間に、期間を定めない雇用契約を締結した。原告は、被告会社の開局に伴い、第一期公募アナウンサーとして入社したものであり、以来、主としてアナウンス業務に従事してきた。

(二) 被告会社は、ラジオ放送事業等を主たる目的とする資本金五億円の株式会社であり、平成二年頃の従業員数は、約六〇名であった。被告会社は、電波出力数五〇キロワット、周波数一四二二キロヘルツのいわゆる中波(AM)ラジオ単営局であり、関東地域一円を聴取エリアとしている。被告会社は肩書地に本社を置くが、東京都港区に東京支社があり、主たる業務は、同支社で行っている。

(三) 原告の所属するラジオ日本労組は、被告会社の従業員により昭和三五年九月五日に結成され、平成二年頃には、二四名の組織人員を有していた。同労組は、その上部団体である関東地連に加盟し、さらに全国連合団体である民放労連に加盟している。原告は、被告会社を定年退職する平成二年当時、ラジオ日本労組の副委員長(定年問題担当)を務めていた。なお、被告会社では、同労組の結成後、新たにアール・エフ・ラジオ日本労働組合が結成・組織されている。

(四) 原告が入社した当時、被告会社の就業規則には、女性について、満三〇歳の若年定年制及び結婚退職制度の規定が存在したが、被告会社とラジオ日本労組の交渉により、昭和三七年三月二〇日、右各制度は廃止され、女性についても本件五五歳定年制が適用されるようになった。

ラジオ日本労組では、昭和五〇年頃から、定年延長問題を取り上げ始めたが、その頃にはまだ組合員で定年到達者はなく、右問題が具体化したのは昭和五三年一〇月に五五歳の定年を迎えた組合員石原三代子について、被告会社に対し、定年を満六〇歳まで延長するよう要求したのが最初であった。しかし、右要求は実現せず、その後も同労組は、春闘や年末闘争時、及び組合員の定年到達者が現れる度に、右要求をしてきたが、実現に至らなかった。ラジオ日本労組では、昭和六〇年一一月、「ラジオ日本に六〇歳定年制を実現する会」(後に、「定年延長を実現するプロジェクトチーム」と改称した)を設置し、定年延長問題に取り組んできており、昭和六一年一〇月、高年齢者雇用安定法が施行されて以降、組合員の定年到達者が増加したこともあり、定年延長問題を最重点課題とし、昭和六二年六月にはストライキ権を行使しまた所轄の芝園橋公共職業安定所に被告会社への行政指導を強化するよう申し入れる等の運動を活発に行ってきた。上部団体の民放労連及び関東地連も右運動を積極的に支援してきた。

(五) 平成二年二月二八日に原告が定年を迎えるに当たり、同年の春闘交渉の際、ラジオ日本労組は、被告会社に対し、「被告会社が定年延長を検討できないのならば、組合として提訴せざるを得ない。」との申し入れをしたが、同年五月一八日の団体交渉において、被告会社側は、「五五歳定年制を変更する考えはない。」との回答をしたところ、原告は、ラジオ日本労組、関東地連及び民放労連の方針に基づき、同年六月二二日、本訴を提起した。

3  高齢化社会の到来と国の施策

証拠(甲一ないし三、六、四二、四四、四五、証人樋口恵子)及び当裁判所に顕著な事実によれば、以下の事実が認められる。

(一) 昭和五九年一二月二〇日発行にかかる総務庁長官官房老人対策室編「高齢者問題の現状と施策」には、要旨、次のとおり報告されている。

(1) わが国における六五歳以上の老年人口は、昭和五九年九月一五日現在で一一九四万人であり、総人口一億二〇二一万人に対して9.9パーセントである。厚生省人口問題研究所の推計によれば、老年人口は、平成二年(一九九〇年)に一四二九万人、総人口の15.6パーセント、同一二年(二〇〇〇年)に一九九四万人、総人口の15.6パーセントとなり、同二二年(二〇一〇年)には二四四八万人、同三〇年(二〇一八年)には二八〇二万人とピークに達し、同三二年(二〇二〇年)には総人口の21.8パーセント、同五五年には22.2パーセントという高水準に達するものと予想されている。また、七五歳以上の高齢者についてみると、その総人口に対する比率は、平成二年には4.5パーセントであるが、同一二年(二〇二五年)には5.8パーセント、同三七年(二〇二五年)には10.9パーセントに達するものと予想されている。

(2) 諸外国と比較したわが国の人口高齢化の特徴は、その速度が極めて速いこと、人口高齢化の程度が極めて高いことであり、諸外国に例を見ない急速かつ高水準のものである。その原因は、医学・医術の進歩や公衆衛生の向上、国民の食生活の改善に基づく死亡率及び出生率の著しい低下にあり、昭和五八年現在、わが国の平均寿命は既に男74.20年、女79.78年であり、平均余命は、五〇歳で男27.20年、女31.67年に伸び、六〇歳で男19.00年、女22.66年に達している。したがって、人口高齢化がわが国の社会経済に及ぼす影響は極めて大きなものとなることが予想される。

(3) 急激な人口高齢化の進行に伴い、労働力人口(就業者及び完全失業者)も高齢化してきており、昭和四五年に五一五三万人であったわが国の労働力人口は、昭和五八年には五八八九万人となり、七三六万人の増加となったが、このうちの二六五万人(三六パーセント)は、五五歳以上の高齢者の増加によるものである。そして、昭和五八年には労働力人口に占める五五歳以上の高齢者の割合は17.3パーセントであったが、平成二年には20.3パーセント、平成一二年(二〇〇〇年)には23.0パーセントとなることが予想されている。このような労働力人口の高齢化は、人口の高齢化や進学率の上昇等により若年層の労働力率が低下したことに加え、わが国の高齢者の就業意欲及び就労率が諸外国に比べて極めて高いことによる。したがって、定年延長をはじめとする雇用機会の確保と高齢者の働く場の確保を図ることが重要になってきている。

(二) 政府においても、右のような人口高齢化の進展に対応し、高年齢者の雇用安定を図るための施策として定年延長の推進を最重要課題として取り上げ、労働大臣は、昭和五四年六月二五日、雇用審議会に対し、高年齢者の雇用の安定を図るため、定年延長の実効ある推進策について、立法化問題をも含めた意見を求める諮問をした。これに対して、同審議会は、労使双方からのヒアリングの結果に基づき、昭和五六年一月一九日、答申第一六号において、大要、次のような内容の答申をした。

(1) (基本的認識)労働力人口の高齢化の進展に伴って増大する高年齢労働力を活用していくことは重要課題であり、この意味で定年延長は社会的要請となっているという基本的認識は、既に労使共通のものとしてコンセンサスが得られている。

(2) (諸問題)定年延長を行うに当たっての問題点として、①定年延長後も従来の年功賃金・退職金制度を機械的に適用すると、経営の限度を超えた人件費コストの増大を招く、②人事の停滞とモラール・ダウン、企業活力の低下のおそれがある、③危険有害業務・三交替勤務等、業種・職種によって、高年齢者の能力の低下に対する不安等がある。

①の問題については、労使双方の賃金・退職金の見直しの努力がなされれば、定年延長に伴う人件費コストの増大はある程度克服できる。②の問題については、定年延長に当たっての人事管理の基本は、入職から少なくとも六〇歳定年退職までを基幹労働力として活用していくという一貫した人事管理の考え方に基づくべきであり、高齢化社会における高年齢者の労働能力は、それまでと同じ職務を続ける限り、一般的には十分なものがあると考えられる。六〇歳定年まで、高年齢者が本来持っている能力を十分活用できるようにするための体制の整備も、特に重要な課題である。③の問題については、職種・作業内容によって高年齢者の就労に若干の困難が伴うとみられるものについては、設備改善、職務再設計等による職務内容の工夫を行うことによって高年齢者の就労分野の拡大を図っていくことが重要な課題となってくる。

(3) (見通しと対策)従来定年延長への取組みが比較的遅れていた大企業を中心に定年延長は急速に進展するものとみられ、効果的な施策の実施がなされるならば、昭和六〇年度までに六〇歳定年制は相当程度普及するものとみられる。しかし、業種や企業の置かれた環境によっては六〇歳定年延長が困難な場合もあることが予想される。定年延長の立法化については、労使の意見に隔たりがあり、今後、定年延長の進展の動向を見極めつつ検討を続ける必要がある。当面、政府としては、定年延長についての行政指導の強化、定年延長についての具体的事例等の情報提供等の施策を講ずる必要がある。

(三) その後も政府として、定年延長問題に関し、種々の方策を講じていたが、昭和五八年一〇月一四日に閣議決定された「今後の雇用展望と雇用対策の方向(第五次雇用対策基本計画)」の策定において、高年齢者の雇用就業機会の確保を重要な政策課題の一つとした。

同計画は、最近の労働需給の動向として、今後長期的にみて本格的な高齢化が進むとみられること、女子の職場進出が一層の進展を示していることなど労働力需給の変化があり、加えて就業形態の多様化が進み、また新たな技術革新の波が広範な分野へと広がりをみせており、今後についての的確な展望を踏まえ、中長期的な雇用対策の方向を示すことが求められているとしたうえ、「本格的な高齢化への対応」の具体的対応策の内容として次のとおり示している。

すなわち、①昭和六〇年度には六〇歳定年が一般化するよう定年延長を引き続き積極的に推進する。このため定年延長への対応の遅れた企業に対する指導を強化するとともに、企業の実情に即しきめ細かな相談援助措置の充実を図る。なお、定年延長の立法化問題については、定年延長の今後の動向を見ながら、昭和六〇年頃の適当な時期に改めて検討を行う。②六〇歳台前半層については、昭和六〇年代に入ると高齢化の波が及ぶので、同一企業あるいは同一企業グループ内において、六五歳までの間は、定年延長、再雇用、勤務延長等による雇用延長の普及推進を図る。このため、労使による検討の促進とそのための具体的な事例の提供等による啓蒙・指導の強化、雇用助成制度の拡充等を進める。③高年齢者の雇用の維持、拡大を図るためには、まず、長年の経験等を十分生かしつつその職業能力の開発、向上を進めることが重要であるので、生涯訓練の理念に立った事業内教育訓練の振興に努めるとともに、公共職業訓練においては、訓練科目の整備転換を進めるなど高年齢者向け訓練の拡充に努める。なお、被用者年金の支給開始年齢の引上げについては、高年齢者の生活設計に深い関係があることにかんがみ、今後の定年延長、雇用延長の進展の状況等高年齢者の雇用動向等に配慮しつつ総合的に検討していくことが必要である、というのである。

(四) 雇用審議会は昭和六〇年一〇月三日、前記労働大臣の諮問に対し、定年延長の立法化問題の検討をした結果を答申第一九号として提出したが、その内容の要旨は、次のとおりである。

(1) (労働力の高齢化と見通し)昭和五〇年におけるわが国の労働力人口は五三二三万人、うち五五歳以上は八〇四万人(15.1パーセント)であったが、昭和五九年には全体で五九二七万人、うち五五歳以上は一〇四四万人(17.6パーセント)となっており、平成一二年には全体で六五〇五万人、うち五五歳以上は一四八五万人(二三パーセント)となると予測されており、労働力人口の四分の一を高年齢者が占めることになる。また、昭和五〇年から五九年にかけては、五五歳ないし五九歳層での労働力人口の増加(一五九万人)が顕著であったのに対し、昭和五九年から平成一二年にかけては、六〇歳ないし六四歳層での大幅な増加(一三〇万人)が見込まれており、労働力の高齢化の波は、五〇歳台後半層から今後六〇歳台前半層に移っていくと見込まれている。

(2) (高年齢者の雇用・就業状況の推移及び現状)五五歳以上の就業者数は昭和五〇年の七八七万人(うち五五歳ないし五九歳三〇七万人、六〇歳ないし六四歳二三八万人)から、昭和五九年には一〇一〇万人(うち五五歳ないし五九歳四五九万人、六〇歳ないし六四歳二三八万人)と増加し、全体に占める比率も昭和五〇年の15.1パーセントから昭和五九年には17.5パーセントと高まっている。また五五歳以上の雇用者数は昭和五〇年の三六五万人(うち五五歳ないし五九歳一六六万人、六〇歳ないし六四歳一一〇万人)から、昭和五九年には五一六万人(うち五五歳ないし五九歳二八九万人、六〇歳ないし六四歳一二七万人)と増加し、全体に占める比率も昭和五〇年の10.0パーセントから昭和五九年には12.1パーセントと高まっている。

しかし、高年齢者をめぐる雇用情勢は極めて厳しい現状にあり、五五歳以上の高年齢者の失業者数は、昭和五〇年の一六万人(うち五五歳ないし五九歳七万人、六〇歳ないし六四歳六万人)から、昭和五九年には三四万人(うち五五歳ないし五九歳一六万人、六〇歳ないし六四歳一三万人)と増加し、全体に占める比率も昭和五〇年の16.0パーセントから昭和五九年の21.1パーセントと高まってきている。失業率は、全体では、昭和五〇年1.9パーセント、昭和五九年2.7パーセントであったのに比し、五五歳以上の高年齢者にあっては、昭和五〇年2.0パーセントから昭和五九年3.3パーセントへと高まっている。

現実の労働力需給の状況をみると、五五歳以上の有効求職者数は、昭和五〇年一〇月三〇万人(全体の22.7パーセント)から昭和五九年一〇月の四六万人(全体の28.4パーセント)と増加しているが、それに見合う求人は極めて少なく、五五歳以上の有効求人倍率は、昭和五〇年一〇月で0.09倍、昭和五九年一〇月で0.11倍となっている。全体の有効求人倍率は昭和五〇年一〇月で0.65倍、昭和五九年一〇月で0.66倍であることに比し、高年齢者の再就職は特段に厳しい状況にあり、今後の高齢化の進展等に伴い、ますます深刻化することが懸念される。

(3) (高年齢者の雇用・就業問題への対応)個々の企業においては、まだ具体的な問題に直面していないとか、高年齢者の雇用・就業の場の拡大に伴う人件費の増大、人事管理の見直し等の問題に対応できない、あるいはより重要な問題を抱えているとかの事情から、今後の課題としての認識にとどまっているものもみられるが、企業労使の取組みの結果、定年延長は着実に進展してきており、昭和六〇年一月現在において定年が六〇歳以上の企業の割合は55.4パーセント、今後定年を六〇歳以上にすることを決定又は予定している企業を含めるとその割合は68.7パーセントと、一部の業種の企業や中堅企業等においては、なお、六〇歳以上定年への取組みに遅れがみられるものの、今や六〇歳以上定年が主流となっている。

以上のような高年齢者の雇用・就業をめぐる状況のもとで、わが国の高年齢者の雇用・就業意欲は外国に比し極めて高く、平年寿命の伸長に併せて高年齢者の健康、体力も改善され、労働可能年齢も高くなってきており、今後大きく低下することは考えられない。むしろ高年齢者は元気な間は働き続けたいと考えているものが多く、少なくとも六五歳程度までは働くことを希望しているのが現状である。

(4) (今後の高年齢者の雇用・就業のあり方の方向)二一世紀を展望した今後の高年齢者の雇用・就業の在り方の方向としては、当面、六五歳程度までは、雇用・就業の場の確保が図られていくようにしていくことが必要となっており、具体的には次のような方向での新たな社会づくりを目指していくことが必要である。すなわち、①六〇歳定年を基盤として、六〇歳程度までは普通勤務雇用が継続されるようにするとともに、六〇歳を超える層についても、六五歳程度までは、多様な形態での雇用・就業の場の確保が図られるようにすること、②再就職を希望する高年齢離職者について、その早期再就職を促進するための体制整備を図ること、③在職中から退職後の人生設計の準備を行うことができるようにするとともに、定年退職後等において任意的な就業の場の確保が図られるようにすること、である。

(5) (高年齢者の雇用・就業の場の確保に関する法的整備等)高年齢者の雇用・就業の場の確保に関する方向づけを明確にするための総合的な法的整備を図り、併せて、施策の一層の充実・強化を図ることとすることがより適当である。なお、従来、定年延長の立法化問題が長年の懸案となってきたが、このような総合的な法的整備の一環として対処すべき問題であろう。

しかしながら、高年齢者の雇用・就業に関し立法措置を講ずることについては、一部に、立法措置を講ずること自体に対する根強い反発があり、また、高年齢者の雇用を法的に保障していくための実効ある立法措置を講ずるべきであるとの意見が存するところである。特に定年延長の立法化問題については、なお、第一六号答申等に記述されているような意見の対立が存するところである。

以上の観点から、高年齢者の雇用・就業の場の確保についての方向づけを明確にした上で、その実現のための六〇歳定年及び六〇歳台前半層を含めた高年齢者の雇用・就業の場の維持・拡大の推進に関する規定を設けるという体系の法的整備を図ることが妥当である。

(五) 右雇用審議会答甲第一九号及び、これに沿った法的整備等を行なうことが適当であるとの昭和六〇年一〇月二四日中央職業安定審議会決定「今後の高年齢者雇用就業対策の充実強化について」(建議)を受け、政府は、「中高年齢者等の雇用の促進に関する特別措置法の一部を改正する法律案」を国会に提出し、国会の審議を経て、昭和六一年四月一一日、高年齢者雇用安定法が成立し、六〇歳定年の努力義務に関する規定等が同年一〇月一日から施行された。同法律案の六〇歳定年に関する部分については、「事業主は、定年を定める場合には、それが六〇歳を下回らないように努めるものとするとともに、六〇歳未満定年の事業主のうち政令で定める基準に該当するものに対しては、引上げの要請、引上げ計画の作成命令、引上げ計画の適正実施勧告、正当な理由なくこれらの命令及び勧告に従わない事業主名の公表等の行政措置を講ずることができるものといたしております。」「六〇歳台前半層までを含めた高年齢者の継続雇用を促進するための施策を明らかにいたしております。まず、企業内における取組みを推進するため、事業主は、高年齢者の雇用のための条件整備を担当する高年齢者雇用推進者を専任するように努めるものといたしております。また、国は、六〇歳台前半層の高年齢者の雇用割合が一定の割合を超える事業主等に対する助成を行うほか、調査、研究等に努めることにより、高年齢者の職業の安定その他福祉の増進を図ることといたしております。」との概要説明が行なわれた。

(六) その後政府は、二一世紀初頭の本格的な高齢社会の到来に備え、人生八〇年時代にふさわしい経済社会システムの構築を目指し、政府が推進すべき長寿社会対策の指針として、昭和六一年六月六日、長寿社会大綱の策定を閣議決定し、六〇歳定年の定着及び六〇歳台前半層を含めた高齢者の雇用・就業の場の維持、拡大を積極的に推進し、当面、六五歳程度までの継続雇用を促進することとした。このような動きの中で、雇用審議会は、平成元年一〇月二四日、労働大臣から「最近における労働力人口の高齢化の進展にかんがみ、高年齢者の雇用の安定を図るため、六五歳に達するまでの雇用機会を確保する対策について、法的整備の在り方をも含めて、貴会の意見を求める。」との諮問を受けていたところ、同二年三月一日、答申第二一号を提出した。

同答申は、最近の高年齢者の雇用失業情勢を見ると、全体が好転しているにもかかわらず、高年齢者については、なお改善される傾向が見られず、また、六〇歳定年もいまだ十分でないなど厳しい雇用環境にあり、意欲と能力のある高年齢者の雇用の確保及び促進が必要となっているとの認識のもとに、①高年齢者の雇用機会の確保に、政府、労使が各々の立場で一致して計画的かつ段階的に取り組む必要がある、②国は、高年齢者雇用について、明確な目標、展望を示すとともに、六五歳までの雇用機会の確保に向けた労使の努力を促進するように環境整備を進める観点から、事業主が講ずべき措置に関する指針を定める基本方針を策定する、③事業主は、その雇用する高年齢者について、意欲及び能力に応じ、六五歳までの雇用機会の確保を図るため、職域の拡大、作業環境の改善、勤務時間の変更、職業能力の開発・向上に務めるものとする、④事業主は、定年退職者に広く再就職の機会に関するあっせん、情報の提供等の援助に努める、等の点について、高年齢者雇用安定法の現行の規定との関連等に留意しつつ、法的整備を進めることとし、六五歳までの雇用機会を確保する措置に関する規定については、事業主の自主的努力を促進する趣旨の規定とすることが適当であり、六〇歳定年については、右基本方針に六〇歳定年の達成の目標に関する事項を含めるなど、この目標の達成に向けての適切な措置を講ずることが妥当である、としている。

右答申に基づき、政府は、中央職業安定審議会への諮問・答申を経て、高年齢者雇用安定法の改正法案を国会に提出し、その審議を経た上、同改正法案は、平成二年六月二二日成立し、同年一〇月一日から施行された。

(七) 右改正された高年齢者雇用安定法により、労働大臣は、高齢者等の職業の安定に関する施策の基本となるべき方針(以下、高年齢者等職業安定対策基本方針という。)を策定するものと定められ、これに基づき、政府は、平成二年一二月一二日、「高年齢者等職業安定対策基本方針」を策定したが、その内容は次のとおりである。

(1) 同基本方針は、平成元年における五五歳以上の高年齢者の人口は二八三〇万人、そのうち労働人口は一二三六万人であり、その内訳をみると、就業者一二〇四万人、安全失業者三一万人である、との事実認識に立って、平成二年度ないし同六年度の五年間を対象とし、高年齢者雇用についての目標及び基本的考え方を労使はじめ国民に示すとともに、事業主が行うべき職業能力の開発及び向上並びに作業施設の改善その他の諸条件の整備に関して指針を示すこと等により、高年齢者の雇用機会の確保の促進を図るものである。

(2) 六〇歳定年の定着状況については、一律定年制を定めている企業のうち定年年齢が六〇歳以上の企業の割合は、昭和六〇年には55.4パーセントであったが、平成二年には63.9パーセントとなっており、これを企業規模別にみると、五〇〇〇人以上規模90.6パーセント、一〇〇〇人ないし四九九九人規模84.4パーセント、三〇〇人ないし九九九人規模69.3パーセント、一〇〇人ないし二九九人規模69.4パーセント、三〇人ないし九九人規模60.6パーセントなっていて、概ね企業規模に比例して六〇歳定年が普及している結果となっている。

(3) 今後、六五歳までの継続雇用の推進により六〇歳台前半層の高年齢者の雇用機会の増大を図っていくためには、その基盤となる六〇歳定年の完全定着が必要である。このような点にかんがみ、平成五年度までに六〇歳定年の完全定着を図る。そのため高年齢者雇用安定法に定められた行政措置を講ずることにより、六〇歳定年未達成の企業に対する指導を強力に実施する。六〇歳定年を基盤として、六五歳まで勤務延長、再雇用等により継続雇用が行われることを促進するため、適正な賃金・人事管理の在り方等条件整備に必要な相談・援助を推進するとともに、高年齢者雇用に関する各種助成金の効果的な活用を図り、六五歳まで雇用機会を確保する制度の導入を促進する。

(八) 以上にみたところによれば、わが国における高齢化社会の進行は、非常に急速かつ大規模なものであり、高年齢労働者の就労意欲の高いことや、近時の労働者の健康、体力の改善もあり、その雇用機会確保の必要性は極めて大きく、政府としても、昭和五四年六月の雇用審議会への定年延長の推進策についての諮問以来、昭和六〇年六〇歳定年の一般化を実現すべく最重要施策として定年延長問題に取り組んできたものであり、昭和六〇年一月頃には、定年が六〇歳以上の企業の割合が54.5パーセントに達し、その頃には、既に六〇歳定年が主流となったとされた。そして、昭和六一年一〇月の高年齢者雇用安定法の施行により、更なる六〇歳定年の定着を図る努力がなされ、その結果、定年が六〇歳以上の企業は、平成二年に63.9パーセントに昇ったが、定年が五五歳以下の企業も少なくない状況にあって、平成二年三月の段階において、右定着は未だ十分ではないと一般に認識され、この認識が六〇歳定年の早期完全定着を基盤とした六五歳までの高年齢者の雇用確保を図ることを目的とする同法改正(平成二年一〇月施行)の一つの契機となったものということができる。

4  放送業界における定年制の実態

証拠(甲五、一五、四二、乙一六、二一の一、二、乙五五、証人磯崎弘幸、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 労働省「雇用管理調査結果」

労働省は、平成二年七月及び同三年七月に、それぞれ「平成二年雇用管理調査結果の概要」及び「平成三年雇用管理調査結果の概要」を発表したが、これらによれば、右各年一月一日現在における主要九大産業に属する本社の常用労働者が三〇人以上の民営企業のうち約六〇〇〇企業を対象とする定年制に関する調査結果は、次のとおりである。

(1) 一律定年制を定めている企業について、定年年齢別企業割合の推移は、別表(四の一)(四の二)のとおりである。定年制を定めている企業の割合は、平成二年が88.2パーセント、平成三年が90.8パーセント、うち一律定年制を定めている企業の割合は、平成二年が92.8パーセント、平成三年が95.5パーセントである。六〇歳以上は、平成二年が63.9パーセント、平成三年が70.8パーセントであり、五六歳ないし五九歳は平成二年が16.2パーセント、平成三年が14.0パーセントであり、五五歳以下は平成二年が19.8パーセント、平成三年が15.1パーセントである。

(2) また、別表(四の一)(四の二)のとおり、今後定年を六〇歳以上に改定することを決定している企業は、平成二年が6.0パーセント、平成三年が6.1パーセント、改定を予定している企業は平成二年が14.8パーセント、平成三年が8.8パーセントである。これを企業規模別にみると、被告会社と同規模の従業員数三〇人ないし九九人の企業においては、定年年齢六〇歳以上は平成二年が60.6パーセント、平成三年が67.3パーセントであり、今後定年を六〇歳以上に改定することを決定している企業は平成二年が2.8パーセント、平成三年が3.8パーセントであり、改定を予定している企業は平成二年が16.1パーセント、平成三年が9.8パーセントである。

(3) 平成三年七月発表の「平成三年雇用管理調査結果速報」の概要骨子欄には、次の記載がある。

すなわち、一律定年年齢を六〇歳以上に改定が決まっている企業のうち、実施時間を平成五年までとする企業は80.9パーセントである。過去一年間に定年年齢を延長した企業について、定年延長後における処遇の変動状況については、週所定労働時間、仕事の内容では「変わらない」とした企業が約九割であり、役職、資格、賃金では「変わらない」とした企業が約七割である。一律定年制における定年年齢を六〇歳以上に定めている企業のうち、勤務延長制度、再雇用制度のある企業の割合が73.1パーセント、制度はないけれども設ける予定がある企業の割合が8.1パーセントとなっており、合わせると81.2パーセントである。勤務延長制度、再雇用制度のある企業について、適用対象者の範囲をみると、「原則として希望者全員」、「会社が特に必要と認めた者に限る」がそれぞれ三割ないし四割であり、「原則として希望者全員」とする企業の割合は大企業より中小企業ほど高い。

(二) 民放連の調査結果

(1) 民放連の調査にかかる加盟一五八社の平成二年一二月一〇日現在の定年制の状況は、別表(五)のとおりであり、同日当時、六〇歳以上は一〇一社(63.9パーセント、但し、段階延長中の会社を含む。)、五六歳ないし五九歳は一八社(11.4パーセント)、五五歳以下定年制は三八社(24.1パーセント)である。

(2) 民放連の調査にかかる加盟一六五社の平成三年一二月現在の定年制の状況は、六〇歳以上が一二〇社(72.7パーセント、但し、段階延長中の会社を含む。)、五六歳ないし五九歳が二〇社(12.1パーセント)、五五歳以下が二四社(14.5パーセント)である。

(三) 民放労連の調査結果

(1) 民放労連の調査にかかる同労連加盟七九組合の平成三年四月二二日現在の定年制の状況は、別表(一)のとおりであり、六〇歳以上は五六組合(70.8パーセント)、五六歳ないし五九歳は一三組合(16.4パーセント)、五五歳以下は一一組合(13.9パーセント)である。

(2) 民放労連の調査にかかる同労連加盟七九組合の平成五年一一月末現在の定年制の状況は、別表(二)のとおりであり、六〇歳以上は七一組合(89.8パーセント)、五六歳ないし五九歳は三組合(3.7パーセント)、五五歳以下は五組合(6.3パーセント)である。

(四) 右認定事実によれば、高年齢者雇用安定法に基づく行政指導等もあり、平成二、三年当時、従業員三〇人未満の小企業を除く一般企業において、六〇歳定年制が六割から七割に達する勢いにあり、今後も着実に増加する傾向がみられるところ、放送業界においても、平成二年二月二八日当時、六〇歳定年制を定める企業が六割を超える多数を占め、六〇歳未満の定年制を定めている企業においてもこれを六〇歳に引き上げる趨勢にあったが、被告会社と同じく五五歳定年制を定めている企業も約二割と、少なからず存在したことが認められる。

5  被告会社の定年延長問題への対応

争いのない事実と、証拠(甲六、一七、二〇、二一ないし二三の各一、二、甲五九、乙一ないし六の各一ないし四、乙七ないし一四、一七ないし二〇、五六の六、証人深石純一、同磯崎弘幸、同吉田正博、同東山義一)及び当裁判所に顕著な事実によれば、以下の事実が認められる。

(一) 被告会社の経営

(1) 被告会社では、別表(六)「決算推移表」のとおり、円高不況の影響を受け、第三九期決算期(昭和六〇年四月一日から同六一年三月三一日まで)に営業収益が四五億三一一四万七一七八円と前期に比して約五億円の落ち込みとなり、一億七〇九一万九〇七一円の経営損失を生じ、一億八四七一万八三八九円の当期損失、一億六一六五万二一五二円の繰越損失を計上したが、その後は経常損益が大きく黒字となり、第四〇期決算期(昭和六一年四月一日から同六二年三月三一日まで)には、四二億八五八八万六一三四円の営業収益であり、九三六八万四六一三円の当期損失を計上した。

(2) 被告会社は、第三九期決算期から第四一期決算期(昭和六二年四月一日から同六三年三月三一日まで)に至るまで累積して繰越損失を計上したことや、有力な競争相手である横浜エフエムの誕生に危機感を抱き、人員削減を中心とする経営再建策を推し進めることとした。そこで、昭和六一年六月二〇日及び同年一二月一五日に希望退職者を募集し、また右同日、関連子会社のラジオ日本制作の設立を発表し、昭和六二年二月一九日に、関連子会社であるアール・エフ・ラジオ音楽出版及びアール・エフ・ラジオ日本サービスへの転籍希望者を募集し、同年七月一五日に、再び希望退職者を募集するとともに、ラジオ日本制作、アール・エフ・ラジオ音楽出版及びアール・エフ・ラジオ日本サービスへの転籍希望者を募集した。右希望退職者及び転籍希望者の募集に当たっては、退職金の優遇措置を講じた。これにより、被告会社の従業員数は、昭和六一年三月に一六〇人であったが、平成元年三月には九〇名に減少した。

(3) 被告会社では、右人員削減策及び番組制作・イベント開催等の関連子会社への外注化等の経営努力により、また昭和六二年以降景気が回復したこともあり、第四二期決算期(昭和六三年四月一日から平成元年三月三一日まで)に、漸く繰越損失を解消することができた。なお、被告会社では、昭和五九年以降、同六一年に自己都合退職したスポーツアナウンサーの補充として一名を新規採用したのみであった。

(二) 定年引上げ計画

(1) 被告会社に対し、所轄の芝園橋公共職業安定所長は、昭和六二年一月二〇日、法四条の二に基づく定年引上げの要請を行ったが、これに対し、被告会社は、昭和六三年四月四日「定年の引上げに関する報告書」を提出した。同報告書において、被告会社は、定年年齢を引き上げる予定がないと報告し、その理由として、「当社は、昭和六〇年度、六一年度と二年連続して赤字決算となり、六一年度末で、累積赤字が二億五五〇〇万円に達したため、現在再建計画を実施中である。再建計画としては、昭和六〇年七月より、三次に亘って希望退職を募集し、さらに制作部門の別会社等により約六〇名に及ぶ人員を削減し、その他業務の効率化等を図った結果、昭和六二年度は若干の黒字決算となる見込みであるが、累積赤字を解消するまでに至っていない。電波業界の多局化等によって、中波ラジオの経営環境は増々厳しくなることが予想され、今後においてもなお一層の削減をはじめとするその他の省力化、合理化は、避けられない見通しである。以上のような事情であるので、定年の引上げについては、累積赤字が解消され、経営基盤が安定した時点で、改めて実施の可否を検討したい。」と記載した。

(2) 平成元年五月八日、芝園橋公共職業安定所の雇用指導官が被告会社を訪れ、定年延長計画の進捗状況、会社の意向聴取を行った。その際、被告会社は連続二年の赤字決算が続いたこと、従業員の新規採用は昭和六一年以降行っていないこと、昭和六一年以来数回に亘り、希望退職を募集していること、中波ラジオそのものが多局化のなかで構造不況業種になっており、定年延長は無理であること、したがって、法の適用除外として欲しい、と述べた。

(3) その後、被告会社は、平成二年六月一日、芝園橋公共職業安定所に提出した「高年齢者雇用状況報告書」において、定年の引上げは予定しているが、未だ決定までに至っていないと報告していたところ、同公共職業安定所長は、同年一一月二二日、被告会社に対し、さらに積極的取組みを求め、同年度末までに法四条の三に基づく「定年引上げ計画の作成命令」を発出する予定であり、定年延長の取組み状況を把握するため、「定年延長取組み状況報告書」を持参して、同公共職業安定所へ来所するように求めた。

(4) これに対し、被告会社が平成三年一月三一日に作成し、その頃右公共職業安定所長に対し提出した「定年延長取組み状況報告書」によれば、定年を延長できない理由として次のように記載されている。すなわち、「中波ラジオ業界は、FM多局化や衛星を使用したニュー・メディアの登場等、競争の激化と技術革新によって、その経営環境は極めて厳しく、構造不況ともいうべき状況にある。このような状況下にあって、当社は、昭和六一年七月、六一年一二月、六二年七月の合計三回に希望退職を実施するとともに、昭和六二年四月には番組制作部門の別会社化を、また平成二年四月からはスポーツ番組制作部門の別会社化を実施、この間、嘱託社員の再契約の中止や、関連会社への転籍希望者の募集などの諸施策を実施してきた。この結果、再建合理化に着手する直前、昭和六一年三月時点で一六〇名を数えた従業員数は、平成二年四月一日時点で六六名に減ったのである。この間、五五歳の定年に達し、もしくは定年直前に再就職のため退職した者は、合計二二名にのぼった。しかしFM横浜、FMジャパン等、新設のFM局が当社と同じ音声メディアで二四時間放送でありながら、いずれも従業員二〇人ないし三〇人で当社の売上を上回っている事実をみても、当社の現有人員はまだ適正規模を超えており、未だ余剰人員を抱えているという現状である。しかも当社は、昭和五九年以来、一般職員は全く採用していない。また、右のような状況から新規採用は、当面全くできないのである。なお、昭和六一年度に採用した一名も専門職であるアナウンサーであり、これは昭和五八年度に専門職であるスポーツアナンサー一名が自己都合退社したことから要員が逼迫したためである。一方、収支状況は、累積赤字は六二年度、六三年度の二年間で一応解消し、平成元年度の決算で漸く黒字となった。しかし、これはたまたま持続した好景気と、右のような経営合理化の努力によるものであり、一旦不況に見舞われれば、たちまちにして赤字に転落するのは必至である。以上のような次第で、当社としては現在の五五歳定年を延長できる状態にはないのである。労働市場の自由化が遅れ、雇用関係が硬直化しているわが国の現状からみて、余剰人員をさらに増やすような定年の延長を実施した場合、一旦不況が到来した際に従業員全員に影響を及ぼすような整理解雇等の事態も予想される(ちなみに、社員一人当りの人件費負担は、五五歳では年間平均約一三〇〇万円に達する。)。なお、最後に、社員は全員五五歳定年制を定めた就業規則の遵守を雇用契約の一部として入社したものであることを付言する。」というものであった。その後は公共職業安定所長が法四条の三に基づく計画作成命令を発した形跡はなかった。

(5) この間、ラジオ日本労組及び関東地連は、昭和六二年六月五日、芝園橋公共職業安定所に対し、「被告会社が早急に六〇歳定年制を実施するよう指導することを強く要請する。」との文書を提出したのをはじめとして、同年末には、東京都労働経済局及び右公共職業安定所に対し、同様の申入れをした。その際、右労働経済局の雇用担当官からは、「放送局は、免許事業なので、重点対象として強力に指導したい。」との回答を得た。その後平成元年四月、一二月にも、右労働経済局及び公共職業安定所に対し、同様の申入れを行ったが、その際、右労働経済局の担当官からは、「行政として、指導を途中で止めるようなことはしない。特に民放は、免許事業でもあり、社会的影響もあるから。」との回答を得た。

(三) 高年齢者雇用安定法四条所定の努力義務については、同条項中にはなんらの留保文言がないから、定年を定めるすべての事業主に対し、六〇歳定年を下回らないよう努力する義務を課したものと解すべきであり、また、同法施行令一条は、法四条の二に定める「特段の事情」に関する基準であって、同基準に該当する事業主に対し、同条以下の定年の引上げ要請、定年引上げ計画の作成命令、適正実施勧告等の行政措置を行わないことを定めたものと解するのが相当である。しかるところ、右認定事実によれば、被告会社が経営損益の計算上損失を生じたのは、第三九期決算期に一億七〇九一万九〇七一円の経常損失を計上したのみであり、被告会社において、破産、特別清算開始、整理開始及び会社更生手続開始の申立てを行ったり、その決定又は命令を受けたりした形跡は認められない。そうすると、被告会社については、法施行令一条に定める基準に該当せず、右「特段の事情」が存在しないことは明らかであるが、第四二期決算期を越えた時期になると業績も回復し、定年を六〇歳に延長することが可能となる環境は整ってきたにもかかわらず、定年引上げの努力義務を怠り、漫然として本件口頭弁論終結日に至ったことは、企業としての社会的責任を十分に果たさなかったものであるというべきである。

しかしながら、公共職業安定所長が被告会社に対し、昭和六二年一一月二〇日以降、法四条の二に基づく定年の引上げ要請をなし、その後平成二年一一月二二日には、同年末までに法四条の三に基づく定年引上げ計画の作成命令を発する旨通知したが、その後右計画作成命令が発せられなかったのは、被告会社において前記のような人員削減を中心とする経営再建策を講じ、平成元年三月頃に、漸く繰越損失を解消できたような状態であったことから、被告会社が昭和六三年四月四日に提出した「定年の引上げに関する報告書」及び平成三年一月三一日に提出した「定年延長取組み状況報告書」に記載した定年延長できない理由に対し、一定の理解を示したものと推測することができ、少なくとも平成二年当時についてみれば、被告会社において、定年引上げ計画を直ちに実現することが極めて容易であったといえる状況にあったとすることはできない。

6  被告会社の定年退職者に対する再雇用の扱い方

当事者間に争いのない事実と証拠(甲一七、一八、二一の一、甲二八の一、甲二九、四〇の一ないし三、甲四三、六七、七四ないし七六、八一の一、二、甲八五の一ないし三、甲八九、九〇の一ないし三、甲九二、九六の一、甲一〇一、乙二三、二九、五三、五四、証人吉田正博、同深石純一、同石射虎三郎、同東山義一、原告本人、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 参与制度

(1) 被告会社の就業規則六六条三号には、「社員が停年に達したときは、退職とする。但し、会社が必要と認めたときは、嘱託として再採用することがある。」と規定され、また同規則六九条一項には、「停年退職は、満五五歳とする。但し、会社が特に必要と認めたものに限り停年を延長することがある。」と規定され、被告会社の社員が定年に達したときは、嘱託として再雇用するか、もしくは個別に請負契約を締結するのが通例であった。

(2) 被告会社は、昭和六二年三月末をもって、それまでの嘱託雇用契約を解除し、同年三月二五日、職制規程を改正し、同規程九条二項に「職員のほか業務上必要あるときは参与、嘱託又は臨時雇を置く。」、一四条に「参与は、上長の指揮を受け命令された一般業務又は特定業務に従事する。」との規程を設け、いわゆる参与制度を新設し、嘱託としての再雇用に代え、定年退職後の社員を参与として再雇用するようになった。

(二) 参与制度実施後の定年退職者の動向

(1) 昭和六二年四月以降平成二年六月一一日までの間、被告会社の社員で定年に達した者は、別表(三)記載の一六名であり、ラジオ日本労組の組合員は九名であるが、そのうち原告がラジオ日本制作との間で請負(番組出演)契約を締結したのみで、その他は全員退職した。一方、非組合員は七名であるが、参与として再雇用された者が三名、請負契約で業務継続しているものが三名であった。このほか、非組合員の大谷亘は、定年退職時、ラジオ日本制作の社員であったが、同会社を平成二年四月一七日定年退職後、被告会社の参与として雇用され、編集部長職を担当している。

(2) 参与制度が設置された昭和六二年三月二五日以降、平成四年一〇月までの間の定年退職者は三一名(大谷亘を除く)であり、そのうち組合員は一五名であるが、原告を除き、いずれも被告会社を定年退職した。

一方、非組合員は一六名であるが、請負契約で業務継続している者が五名であり、参与として再雇用されたのは、森軍蔵(昭和六二年四月一四日定年退職、翌一五日再雇用)、松下孝雄(平成元年四月一三日定年退職、翌一四日再雇用)、中村信介(平成元年八月三〇日定年退職、同年一一月一日再雇用)、大谷亘(平成二年四月一七日ラジオ日本制作を定年退職、翌一八日雇用)、森山親弘(平成三年一月一日定年退職、翌二日再雇用)、久保正昭(平成三年一月一二日定年退職、翌一三日再雇用)、上田豊作(平成四年四月四日定年退職)の七名であり、いずれも被告会社により、業務上の必要性があると認められた。そして、再雇用後の役職は、森が経理部長、松下が横浜報道部長、中村が小田原放送局担当部長、大谷が編集部長職、森山が取締役編集制作局長、久保が技術部長、上田が総務局付部長(電算室業務)である。

なお、組合員の樋口忠正は、平成五年二月二〇日定年退職したところ、被告会社は、同人に競馬・競輪アナウンサーとして業務を遂行させる必要性を認め、同四年秋より、参与として再雇用契約の申込みをしたが、同人はフリー・アナウンサーの途を選択し、現在被告会社との間に出演契約を締結し、競馬・競輪番組を担当している。

(三) 原告の経歴・資質・能力

(1) 原告は、昭和三三年、被告会社にアナウンサーとして入社して以来、同三九年頃まで、ダンス・パーティー形式のディスク・ジョッキー番組である「キャノン・ダンスアルバム」(五五分番組、九年間継続)、生ワイド番組である「RFサンデー」(三時間番組)、ナレーション番組である「今日の暦」(二三年間継続)などを担当した。

昭和三九年頃から同四五年頃まで、原告は、右各番組を引き続き担当するとともに、川崎映画街提供の「ミス・タウン」、ディナー・ショーの生中継番組である「アルテリーベ・ミユージック・レストラン」(約一時間番組)などに出演した。

昭和四五年頃から同六一年頃まで、原告は、「今日の暦」のほか、生ワイド番組である「アフタヌーン神奈川」、「リビング・ワイド・一四二二」(二時間番組)、神奈川県提供の広報番組である「サンデー神奈川」(一五分番組、五年間継続)、川崎市提供の広報番組である「声のひろば」(五分間番組)に出演した。また藤沢市長選挙をはじめ、県下の各首長選挙、地方議会選挙、国政選挙に関する速報を担当した。

昭和六一年頃から定年に達する平成二年まで、原告は、「声のひろば」のほか、ニュース番組である「ワイドニュース」(土曜隔週)、「ワイド・小田原一四八五」(五五分番組)、情報番組「おはようゼミナール」(一〇分間番組)を担当するとともに、「歌のまち、花のまち」(五五分番組)を他の女性アナウンサーと交互に担当した。

(2) 原告は、定年に達する平成二年二月二八日の一か月前、被告会社から定年退職の通知を受けたが、その頃、原告が担当していた番組は、「声のひろば」と「歌のまち、花のまち」であった。

原告の定年後、「歌のまち、花のまち」は打切りとなり、「声のひろば」は、担当者が変更される予定であったが、スポンサーである川崎市の強い要望もあり、原告が引き続き同番組を担当することになり、被告会社との間に、月額二〇万円の報酬の約束で同番組の出演契約を締結した。その後一時、同番組の制作がラジオ日本制作に移った時期には、同会社との間に出演契約を締結していたこともあったが、その後再び被告会社との間に出演契約を締結し、現在も同番組は継続している。

原告は、被告会社を定年退職扱いとなった後、平成三年頃、中京テレビ放送制作の美術番組である「美のプロムナード」(一五分番組)を二〇回から三六回まで担当したほか、シンポジウム等の司会、原稿執筆、各種の地域活動に従事し、また神奈川県の道路交通改善推進協議会委員、財団法人川崎市文化財団理事、川崎市のわが町映像創作コンクール審査員等の公職にも就いている。

(3) 原告は被告会社に第一期公募アナウンサーとして入社以来、数々の番組に出演し、重要な役割を果たしてきたものであって、経験を積んだ安定感のある明快な語り口は定評のあるところであって、五五歳に達したからといって、直ちに発声等の能力に衰えがあるとは認められない。また、原告が旺盛な職務遂行の意欲を有することは、当裁判所に顕著なところである。

(四) 右にみたとおり、昭和六二年三月二五日以降、被告会社を定年退職した社員のうち、定年退職後も参与として再雇用され、あるいは請負契約を締結して業務を継続している者は、ラジオ日本労組の組合員では原告と樋口忠正の二名にすぎないのに対し、非組合員には数多く存在するのは確かであるが、右組合員らが定年退職するに際し、被告会社に再雇用や請負契約締結の申込みをした事実は認められないのみならず、一旦定年退職した社員について、業務上の必要性を認めて右申込みを承諾するか否かは被告会社の自由裁量に属するものであり、被告会社は、右樋口のように組合員であっても業務上の必要性があると認めた者に対しては、参与として再雇用する申込みをした事実もあることに照らすと、被告会社が定年制度を利用して不当労働行為を行っていると認めることはできない。しかしながら、被告会社は、五五歳定年制の存在をよいことに、定年到達者の再雇用に際し、組合員と非組合員との間に、結果的に偏りが生じるような任用行為を行っており、組合員の再雇用について一層の配慮がされてしかるべきであったと考えられる。

7  憲法違反、公序良俗違反等の主張について

(一) 憲法違反

(1) 憲法一三条、一四条、二五条及び二七条の規定は、国、公共団体及び個人の関係を規律するものであり、私人相互間の関係を直接規律することを予定するものではないが、私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害又はそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、場合によっては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条及び不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し、基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図るべきであると考えられる(最高裁判所昭和四八・一二・一二大法廷判決・民集二七巻一一号一五三六頁参照)。そこでまず、本件五五歳定年制が憲法一四条一項の定める平等原則に違反するものかどうかについて判断する。

憲法一四条一項は、年齢による差別を明示的には禁じていないが、雇用関係において、年齢による取扱いの差が合理性を欠くものであるならば、右憲法条項違反となることがありうるものと解すべきであるが、一般に、定年制は、定年に達したすべての者に対して機械的かつ一律的に適用されるものであって、いわゆる形式的平等は満たされているということができる。また、実質的に考えてみても使用者の側からみると、前記のとおり、一般に労働者にあっては、年齢を経るにつれ、当該業種又は職種に要求される労働の適格性が逓減するにかかわらず、給与が却って逓増するところから、人事の刷新・経営の改善等、企業の組織及び運営の適正化を図るために定年制の定めが必要であるという合理的理由が存するし、労働者の側からみても、定年制は、いわゆる終身雇用制と深い関連を有し、定年制が存するが故に、労働者は、使用者による解雇権の行使が恣意的になされる場合は、これが権利濫用に当たるものとして無効とされ、その身分的保障が図られているものということができ、また、若年労働者に雇用や昇進の機会を開くという面があり、一応の合理性があることを否定できない。

したがって、五五歳定年制をもって、憲法上の平等原則に違反しているとみることはできないというべきである。

(2)  憲法一三条、二五条、二七条については、いずれも抽象的宣言規定であり、あるいは、国に対し、社会福祉や社会保障、雇用の機会の保障等の面において立法上・行政上の施策を講じる責務を定めたものであって、これらの諸規定から直ちに本件五五歳定年制が無効であると断じることはできない。

もっとも、わが国では、厚生年金の支給開始年齢は六〇歳から、国民年金のそれは六五歳からとされているため、本件において五五歳の定年年齢との間に開差を生じており、なお、厚生年金の支給開始年齢が六五歳に引き上げられれば、さらに開差が大きくなるのであって、年金支給開始年齢と定年年齢とを連結させることが望ましいことはいうまでもなく、六〇歳への定年延長を中心とする前記国の雇用政策も、右要請が一つの背景となっていることが認められる(甲四一、証人樋口恵子)。しかし、公的年金の支給内容・支給開始年齢については国民全体の社会保障負担の均衡を図る必要があり、定年延長のための努力とはその性格を異にし、また、定年延長の進捗状況は前記のとおりであり、わが国においては、年功賃金や退職金、私的退職年金制度がこれらの社会保障制度に代わる機能を果たしていたということができ、年金支給開始年齢と定年年齢との間に開差があることをもって、直ちに違憲・違法とまではいえない。

(二) 国際労働社会の公序違反

証拠(甲四、五九)によれば、原告主張のとおりの内容の規定を有するILO一六二号勧告、一五八号条約、一六六号勧告、「アメリカの雇用における年齢差別禁止法」が存在する事実が認められる。

しかしながら、ILOは、一六二号及び一六六号勧告を、いずれも法形式上、「勧告」にとどめ、各加盟国に対し、国内事情・慣行に適する方法により、同勧告の三項で掲げた「方針の承認及び遵守を確保することを目的とする法令を制定し、及び、又は計画を促進すべき」ことを要請しているのであって、わが国政府は、わが国の実情に即した方法により高齢労働者の雇用保障を図るべく、前記のとおり高年齢者雇用安定法の制定等を通じ、右要請に応えようとしているものと認められ、右ILOの各勧告があるからといって、直ちに本件五五歳定年制が無効となるものではなく、これを国内法化した高年齢者雇用安定法等の規範に照らし、その有効性が判定されるべきものである。

なお、アメリカにおける「雇用における年齢差別禁止法」の法理が、労働法制度や雇用環境の異なるわが国において、そのまま妥当するものでないことは明らかである。

(三) 公序良俗違反、権利濫用、信義則違反

本件五五歳定年制が社会的相当性を欠き公序良俗違反、権利濫用、信義則違反により無効と解すべきかどうかは、前記のとおり、社会における労働人口、企業経営をとりまく諸事情、定年延長についての被告会社の対応等諸般の状況を考慮して社会通念によって判断するべきものであるところ、前記認定事実を要約すると、以下のとおりである。

(1) 原告は、昭和三五年に被告会社に入社したが、当時被告会社には、女性について、満三〇歳の若年定年制と結婚退職制があった。その後昭和三七年三月に至り、労使の合意により右両制度は廃止され、女性についても五五歳定年制が適用されることになったが、その頃は、五五歳定年制を定める企業がむしろ一般的であり、産業社会において、その妥当性が疑われることはなかったといってよい。

(2) しかし、その後、わが国において急激に人口の高齢化が進行し、昭和五九年頃、労働力人口に占める高齢者の割合が、平成二年度には20.3パーセント、同一二年には23.0パーセントに達するものと予測され、高齢者の失業問題の発生が憂慮されるとともに、わが国の高齢者の健康状態が改善され、またその就業意欲は極めて高いことから、定年延長を中心とする高齢者の雇用機会の確保を図ることが、わが国政府の最重要課題となった。

そこでわが国政府は、昭和五四年六月、雇用審議会に対し、定年延長の推進策について諮問をしていたが、同審議会の答申第一六号(昭和五六年一月)、答申第一九号(同六〇年一〇月)を経て、昭和六一年一〇月一日に高年齢者雇用安定法の施行をみるに至った。

(3) 高年齢者雇用安定法は、事業主に対し、既に定年の定めをしているかどうかを問わず、六〇歳以上の定年を定める努力義務を課し(四条)、これを実効あるものとするため、労働大臣が定年引上げの要請、引上げ計画の作成命令、引上げ計画の適正実施勧告、正当な理由のない右命令・勧告の不遵守に対する事業主名の公表等の行政措置を講ずることができる旨規定している(四条の二ないし四)。同法は、平成二年六月に改正(同年一〇月施行)されたが、改正法では、六〇歳定年制の定着を基盤とし、更に六五歳までの継続雇用がなされることを目標としている。右は厚生年金の支給開始年令を六〇歳から六五歳に引き上げる政府の方針と連動するものである(国民年金については、現行でも支給開始年令は六五歳である。)

(4) 被告会社においても、昭和五三年に至り、定年延長問題が現実化し、その後ラジオ日本労組は、被告会社に対し、継続して定年延長を求めてきたが、その要求は容れられなかった。被告会社においては、第三九期決算期から第四一期決算期にかけて、営業収益の低下が著しく、人員削減による人件費の抑制を中心とする経営再建策を講じており、六〇歳への定年引上げは、右経営再建策と相反するものであったが、原告は、定年後も就労継続の強い意欲を有し、そのアナウンサーとしての適性も従前に比して著しく低下したとはいえなかった。

(5) 高年齢者雇用安定法に基づく定年延長の推進策は、定年を六〇歳に引き上げることを強行法規とせず、努力義務を課するにとどめ、事業主の自主的な経営判断に委ねていたが、かなりの効果を挙げ、一般企業において、平成二年一月一日現在、六〇歳以上の定年を定めている企業は、63.9パーセントに達しており、民放連に加盟する放送会社(全一五八社)についてみると、平成二年一二月一〇日現在、同率に達している。しかし、五五歳以下の定年を定める会社も、一般企業では19.8パーセント、放送会社でもそれに劣らない割合で存在しているのが実状であった。そのため、平成二年一二月一二日策定にかかる「高年齢者職業安定対策基本方針」では、平成五年度までに六〇歳定年制を完全定着させることを目標とし、定年年齢を六〇歳以上とする企業の割合は着実に増加している。

以上の諸事情に照らして考えると、高齢化社会に進展したわが国において、雇用慣行の長所を生かしながら、高年齢者の雇用を確保し、その経験や能力を活用していくことにより活力ある社会を維持していくことは、事業主に課せられた重要な社会的要請であり、六〇歳定年制は事業主の負う基本的な社会的責務であると言うべきであるが、このような社会的責務は事業主の経営、雇用管理上の条件整備を労働者の協力も得て進めることにより達成することが可能となるのであるから、産業社会においてこれが普及して普遍化した段階にあっては、特段の事情のない限り、右社会的責務を履行せずにこれを達成しないことは社会通念上違法・無効であるというべきである。しかしながら、本件にあっては、本件五五歳定年制が社会通念上違法・無効なものであるかどうかについての判断の基準時点は、本件五五歳定年制が原告に適用されることが現実化した時点、すなわち原告が満五五歳に達した平成二年二月二八日の時点をもって相当とするところ、この時点において、六〇歳定年制が既に放送業界を含む産業社会で主流となっていたということがいえるものの、五五歳定年制が維持されたままの企業も多く存在し、必ずしも六〇歳定年制が普遍化した状況にあったものとはいいがたいのであって、本件五五歳定年制をもって、これを違法・無効とするまでの客観的法規範が形成されていたと認めることは困難である。被告会社は、平成二年二月当時、高年齢者雇用安定法に定める努力義務を十分に尽くさず、原告を含め定年後も就業の意欲と能力を有する退職者を組合員・非組合員の区別なく可能なかぎり再雇用すべき配慮に欠けていたが、本件五五歳定年制が平成二年二月二八日の時点における客観的法規範に反するとはいえず、しかも、当時は被告会社において六〇歳定年制を直ちに実現することが容易であったとすることができない以上、右個別的事情があるからといって、本件五五歳定年制が公序良俗に反し、あるいは権利濫用、信義則違反に該当するということはできないというべきである。

もっとも、本件訴訟の口頭弁論終結当時についてみれば、放送業界をはじめ企業の六〇歳定年制の実施状況は一段と進展し、平成二年一二月の高年齢者等職業安定対策基本方針において平成五年度までに六〇歳定年の完全定着を図ることが策定され、被告会社の経営事業が現在においても特に悪いために定年引上げによって事業活動に著しい支障を与えるものとはいいがたいことにかんがみると、少なからず高年齢者の従業員が就労し、かつ、公共性の高い免許事業を営む被告会社が定年引上げ計画を実現しえなかったことは遺憾である。

(四) 以上のとおり、本件五五歳定年制を定める就業規則それ自体ないしこれを原告に適用することが違憲、無効であるということはできないというべきであった。

第四  結論

よって、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官遠藤賢治 裁判官吉田肇 裁判官塩田直也)

別表〈省略〉

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